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ヨシフ・ブロツキイの「私人―ノーベル賞受賞講演」を読みました [本を読んでいる]

昨日、家内が表参道の、とあるお店で買物をしているのを待っている間、ヨシフ・ブロツキイ(Ио́сиф Бро́дский, Joseph Brodsky, 1940~1996年)の「私人―ノーベル賞受賞講演」を読み終えました。この本は1987年のユダヤ系ロシア詩人ヨシフ・ブロツキイのノーベル賞受賞講演を収めたもので、訳注と解説を除くと本文は30ページ足らずの、15cm×11cmという、とても小さくて薄い本ですが、そこで語られている内容は、文学、詩について、ひいては個人と国家の在りように対する深い考察と示唆に満ちた、素晴らしいものです。
詩を読むとき、読者はまったくの、一個人(私人)として詩に向かいあうこととなります。その向かい合うプロセスこそが、ポピュリズムや共産主義といった全体主義的な物の考え方を排除し、人間を一人の独立した個として成り立たせるのだという、文学、特に詩の持つ力を称賛する彼の主張には、私も全面的に同意するところです。詩人は一片の詩で世界を変えることができます。それだからこそ、往々にして権力者は詩人を疎み、排除しようとするのです。
もちろん、この講演がなされた時代背景や1972年にソ連から国外追放(アメリカに亡命)された彼の経歴等を考慮しながら読むと、なそ一層理解は深まるのかもしれませんが、そうした背景を抜きにしても、今でも十分拝読に足る、素晴らしい講演だと思いました。
人間はまさしく人間的に生きる上で「芸術や文学は、人類という種の副産物であるどころか、種としての人類の目的である」との芸術至上主義はとても説得力を持ちます。ブロツキはさらに「詩人が言語を使うのではなく、言語が生き残るために詩人を使う」と言います。世界(そして個人)を成り立たせているものは、国でもなく民族でもなく、まさしく言語であるという、ある意味、究極とも言える世界観、哲学はとても刺激的です。詩の持つ力、言語の持つ力について、改めて考えさせられました。

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写真はヨシフ・ブロツキイ「私人―ノーベル賞受賞講演」(群像社)

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