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入院していた病院から退院した元同僚の女性を囲んで食事会をしました [考えている]

先週の土曜日の夜、病院から退院した元同僚(女性)を囲んで、ささやかな食事会をしました。彼女は現在48歳、1998年から2006年、そして2018年から2019年までの、のべ8年11か月もの長い間、私の同僚、部下として一緒に仕事をし、そして(数えきれないほど)何回となく一緒にお酒を飲んだ仲間です。40代半ばで癌におかされ、一旦は快方に向かったものの再発し、何度も入退院を繰り返しながら闘病生活を送ってきました。

このコロナ禍の中、入院している限りは家族との面会もままならない上、これ以上、病院の方で行える治療も無くなったとのことで、先週の金曜日に退院、翌日の土曜日に彼女と親しい仲間たち五人と、こうして食事会を開いてくれました。お店は彼女が常連だった目黒のこじんまりしたイタリア料理店で、長い階段の途中にあります。車椅子から降りた彼女は、夫に支えられながら階段を下り、お店に到着しました。

これまでLINEを使って連絡を取り合ってはいたものの、実際に会うのは本当に久しぶりです。彼女は少し痩せたように感じられた(元々本当に細いのです)ものの、以前と変わらない笑顔で、お店が用意してくれた前菜やパスタを口にしています。私は、最初、どう接してよいか分からなかったのですが、いつも通りの接し方で過ごそうと思い直し、初めてお会いした彼女の夫と挨拶を交わすと、お互いの近況を報告しあったり、思い出話に花を咲かせながら30分ほどの短い時間はありましたが、途中、(彼女がこれまでの自らの病状の推移を説明してくれた時には)堪えきれずに泣いたりしてしまいながらも、一緒に楽しく過ごしました。

彼女は会社にいたころ(彼女はとても優秀かつ事務処理能力の高い女性でした)から、次の人生を見据えて勉強をし(働きながら大学院で学び、経営学修士の学位を取得)、キャリアコンサルタントや中小企業診断士、さらには社労士までもの資格を取り、退職後は自らコンサルティング会社を起業したりと、本当に真摯に自身の人生に向かい合っていました。そんな彼女が、何故、こんな目にあわなければならないのか、一体、誰にその怒りをぶつければよいのか、そして彼女自身が一番感じている悔しさを思うと、何ともやり切れない思いに囚われてしまいます。彼女との30分の最後の晩餐はそれこそ、まるで夢のような、奇跡ともいえる時間でしたが、それも彼女の命をかけた、必死の頑張りで、こうして実現したものなのです。この日の彼女は余りにも美し過ぎました。癌によって、自身の防御機能をほぼ破壊されてしまった彼女ですが、逆にそのせいで彼女の「命」そのものがむき出しになっていて、その狂おしいほどの輝きが私にははっきりと、そしてひときわ眩しく見えてしまうのです。それは生まれたばかりの赤ちゃんの、命そのものの姿と全く変わらない輝きで私を打ちのめしました。

彼女と夫が先に帰り、その姿が見えなくなるまで見送った後、残された私たちはお店が用意してくれた料理を頂きながら(お店のマスターと従業員の方も号泣されていました)、彼女との思い出を語り合いました。それは、まるでいつもの会社の内輪の宴席のようでしたが、どこか頭の一部が麻痺してしまったような感覚を皆が覚えていたかと思います。ワインを痛飲し、べろべろになって帰宅すると、妻が心配して待っていてくれました。私はこの日に起きたことを妻に伝えた後、泥のように眠りました。

翌日の日曜日、心配した妻が私を花見に連れ出してくれたのですが、いつも、その美しさに心奪われる桜の花が、その日に限っては何とも味気なく、空々しいものに感じられてしかたがなかったです。そして、この土曜日の会食以降、私は頭のどこかで常に彼女のことを考えています。いや「考えている」といった論理的なものではなく、ぼんやりと思っているというか、どこか心ここにあらずといった感じというのが正確かと思います。なぜ、彼女がこんな目にあわなければならないのか、私には全く分かりません。多分、この問いそのものが、究極的には意味のないものなのでしょう。そして、あの時、私が見た彼女の「命」の恐ろしくピュアな輝きは、私の心の中に自分でもそれが何だか説明できない刻印を遺すと共に、私の心の一部を麻痺させてしまった、そんな気分に囚われています。

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翌日の日曜日、横浜の三ッ池公園で妻と一緒に見た桜の花。ソメイヨシノが満開に咲き誇っていました。

彼女は今週の水曜日にホスピスに入所しました。多分、もう会えないかと思います。そして私は、ラインでの彼女からの連絡をただただ待ち続けています。

(2022年4月4日追記)
昨日、彼女から連絡があり、ホスピスに来て落ち着き、ようやく食べれるようになってきたとのこと。残念ながら面会は10人までの事前登録制で(彼女の)家族親族で一杯になってしまっていて、私が面会することは叶いませんが、彼女が心と体の平安を得て、ゆっくり、のんびりと暮らしてくれることを祈るばかりです。

(2022年4月18日追記)
4月14日未明に彼女が亡くなったとの連絡を受けました。享年48歳。若すぎます。彼女がホスピスに入った後に、一人の会社の同僚(女性)がお見舞いに行く機会を得たのですが、その時に彼女は「元気だったらこんな事業をしたかったんだ」と明るい声で楽しそうに同僚に話してくれたそうです。余りにも可哀想すぎます。今はただただ彼女の死を悼む毎日です。21日に通夜、そして翌22日に告別式とのことで、私はどちらも参列するつもりです。


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