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横浜、伊勢佐木町の喫茶店で兼本浩佑著「普通という異常 健常発達という病」を読み終えました [本を読んでいる]

昨日の夕方、横浜、伊勢佐木町の喫茶店で、お気に入りのクリームソーダを食べ(飲み)ながら、兼本浩佑著「普通という異常 健常発達という病」(講談社現代新書)を読み終えました。兼本氏は現在、愛知医科大学医学部精神科学講座の教授、専門は精神病理学とのことで、他にも多くの著作があるようです。私はこの本のことを週刊文春(3月16日号)の書評欄で知り、さっそく本屋で買い求め、読んでみたという訳です。

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こちらがこの日、喫茶店「あづま」で頂いたクリームソーダ。何とも美しいお姿です。

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この日、読み終えた兼本浩佑著「普通という異常 健常発達という病」(講談社現代新書)。いつも本は図書館で借りて読むのですが、何となくこの本は自宅近くの本屋で購入しました。私にとって、これはとても珍しいことです。

この本はADHD(注意欠陥・多動性障害)やASD(自閉スペクトラム症)と、その対極に位置づけられる健常発達を、どちらも「病」として捉えた上で、この「自他」の精神病理学的な問題に、社会学やこれまでの先人達の哲学理論を援用しながら考察したエッセイとでも言うべきものです。

著者が「後書き」でも述べている「それぞれの病はそれに固有の哲学的方法との親和性がある」という主張は頷けるものです。そしてそれは、本書で紹介されている病と哲学理論、それぞれの理解を助ける上でとても有用なものであると思いました。その上で「病とは、病む本人かその周囲の人にとっての受苦の体験であることが、哲学者と精神医学者を分かつ分水嶺」ではないかという著者の主張には精神医学者としての矜持を感じました。

新書とはいえ、こうした硬めの本を久しぶりに読んでみて、自らの頭脳の性能の凡庸さに改めて恥じ入った次第です。これは雑感になりますが、読んでいるあいだ、何となく気になっていたのは、(個人・団体それぞれ含め)「スポーツ」は、そして「忘我」という現象は精神病理学的、そして哲学的には、どのように捉え、考えられるのかという素朴な疑問でした。是非、著者の見解を訊いてみたいものです。

久しぶりの読書で、私は良い刺激を受け、知的興奮を得ることができました。やはり本は読まなきゃですね。 (°O゜)☆\(^^;) バキ!


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