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映画「郊外の鳥たち」を観ました [映画を観ている]

以前の記事で、ホーチミン・バンコク出張時のANAの機内で映画を二本観たことを書きましたが(その時の記事はこちら→https://syoso-chunen.blog.ss-blog.jp/2023-04-26、これから機会を見つけて、もう少し映画を観るようにしようと思った私は、さっそく先週の金曜日の午後、横浜、伊勢佐木町の名画座「シネマリン」で、2018年の中国映画「郊外の鳥たち」(原題「郊區的鳥 (Suburban Birds))を独りで観ました。

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映画「郊外の鳥」のチラシ

沈下する地盤。傾くビル。打ち捨てられた教室と住宅。その土地に染み付いた記憶は男を過去にいざなう。物語は、再開発地域の測量に訪れた青年が、廃墟で見つけた絵日記の世界を追想する姿を描く。(Webサイト「こんな映画は見ちゃいけない!」の紹介記事からの引用)

まるで映像による散文詩のような映画でして、作品の中で色々な謎かけがなされるものの、それに対する答えは一切提示されないままで、観客は、まるでそのまま放り出されたような不思議な感覚を覚えることとなります。作中における測量機器や双眼鏡など、レンズを通してみる世界の姿はどこか歪んでいながらも、不思議な安堵感というかノスタルジーのようなものをもたらします。何と言っても主人公の少年時代(はっきりと明示されているわけではありません)の映像には強い共感を覚えました。

開発進む都市の中で生き生きと日常を謳歌する子供たちの姿。(中略)やがて子供たちは、ひとり、またひとりと姿を消していく。(以上、「郊外の鳥」映画チラシ裏面の文章からの引用)

【以下、この記事はネタバレを含みますのでご注意下さい】
ラストシーンでは、「(幸せの)青い鳥」は一体、どこに行ってしまったのか、昔、この森にいたのは確かなようですが、今もいるのか、もう、既に飛び去ってしまって、いないのかは分からないことが示されながら、ハイキング姿のまま眠る二人の男を映し続けて終わります。なんともポエティックな映画でした。

なんというか、自分の奥底の微妙な感性を呼び覚ますような、そんな映画でした。実は私、観始めた時は疲れのためか眠くてしょうがなかったのですが、いつの間にか、しっかりを覚醒して映画の世界に没入していたのには、思わず苦笑した次第です。

時にはこんな映画を観てみるのも良いものです。なんとも心のどこかに引っかかるような、そんな佳品でした。


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