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大学時代の友人が自宅を訪ねてくれました [人と会っている]

先週の土曜日(午前中)にジャズピアノのレッスンを受けた後、自宅に戻って部屋の片付けなどをしていると、大学時代の友人からショートメールが届きました。慌てて返信して電話で話すと、なんと彼は私の自宅近くにいるとのこと。以前からやっている不動産投資の新たな候補物件を実際に確認しようと訪れたところ、その物件が私の自宅近くだということに気づいて連絡してくれたという訳です。

家の前まで来てくれた彼を自宅に招き入れ、一階のリビングでコーヒーを飲みながらお互いの近況を話し合いました。彼は、今でも交流が続いている大学時代からの友人で、大学卒業後は公務員となったのですが、最近になって早期退職をして30年以上続けた公務員勤めを卒業、自由の身になった後は不動産投資などをしながら、日本各地の投資先物件を訪れてみたり、クラシック音楽のコンサートに顔を出したり、競馬を楽しんだり、小説の執筆に取り組んでみたりと、悠々自適の毎日を送っているようです。

私が自室としている自宅の屋根裏部屋に移動し、私のお気に入りのギオマール・ノヴァエス(Guiomar Novaes 1895~1979年)が演奏するメンデルスゾーンの無言歌が収められた中古レコード(このレコードについて書いた記事はこちら→https://syoso-chunen.blog.ss-blog.jp/2024-02-14を聴いて貰ったのですが、彼も気に入ってくれたようで嬉しかったです。二人共、クラシック音楽が好きなのですが(大学時代は同じクラシック音楽の鑑賞サークルに所属していました)、お互いの音楽への趣味、嗜好はかなり異なります。それでも、こうしてお互い歳を取ったせいか、メンデルスゾーンの無言歌のような、落ち着いた音楽については趣味が一致するようになっています。

一階のリビングに戻り、今度はリヴィア・レフ(Livia Rev 1916~2018年)の演奏するメンデルスゾーンの無言歌集のCD(この演奏について以前、私が書いた記事はこちら→https://syoso-chunen.blog.ss-blog.jp/2014-12-08をかけながら、近況や思い出話に花を咲かせました。

その後、一緒に自宅を出て、自宅の最寄り駅近くの焼鳥屋に行きました。ちょうど幼児教室の先生のアルバイトを終えた妻も合流し、一緒にささやかな宴会を終えた後、彼は彼の住むマンションのある藤沢市辻堂へと帰っていきました。

彼のおかげで、なんとも楽しい土曜日となりました。本当にありがとう。


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親戚の法事に参加し、従兄とネットワークオーディオ話で盛り上がりました [人と会っている]

先週の金曜日から実家に帰省し、日曜日に、この春に94歳で亡くなられた伯父の四十九日の法事に参列しました。その後、二次会がてら、伯父の家で親戚達とお酒を頂きながら暫く話していたところ、亡くなった伯父の長男である68歳の従兄が、ネットワークオーディオを楽しんでいることを知りました。

ネットワークオーディオは、一台のNAS(ミュージックサーバー)に、数百曲、数千曲もの音楽データを保存し、この音源をネットワークオーディオプレーヤーで再生する、新しいオーディオのスタイルです。
(以上、BAFFARO社HP「ネットワークオーディオの楽しみ方」の紹介文章からの引用です)

BAFFARO社のHP「ネットワークオーディオの楽しみ方」では、ワットワークオーディオの利点を
・CDより高音質な「ハイレゾ音源」が楽しめる
・聴きたくなったらすぐに入手できる
・ディスクの保管場所がいらない
・曲名やジャケット画像を見ながら、ライブラリからラクラク選曲
・どの部屋でも音楽を楽しめる
と挙げていますが、まさしく、ここ4、5年、オーディオファンには特に注目されている新しい音楽の楽しみ方です。

彼(従兄)は、ここのところ伯父の看病のため福岡の自宅ではなく、大分の実家に居ることが多かったこともあって、自宅のCDを楽しめるよう、ネットワークオーディオ環境を構築したとのことでした。所有している2400枚程度のCD(ジャズ、フラメンコ、ポップス、クラシック等)をFLAC(ロスレス)方式でリッピングしてミュージックサーバーに保管、これらの音楽ファイルをネットワークオーディオプレーヤーで再生して楽しんでいるとのこと。実家の洋室には新旧二台のネットワークオーディオプレーヤー(MarantzとYAMAHA)と、自作を含めた数多くのスピーカーセット(自作以外ではTANNOYやDENONのスピーカー)が、他の多くのオーディオ機器(そのうちの一部は彼が50年程前に自作したアンプやチューナーもあり、大切に保管されていました)と共にセッティングされており、彼は大音量で音楽を楽しんでいるようです。音量を気にする必要が無いのは田舎ならではですね。

私は彼から色々と話を伺いながら、その見事な再生装置と再生音を楽しむことができました。そして帰りに彼から、NASのバックアップ用に用意されたリムーバブル・ハードディスク(2TB)を快く貸して貰うことになりました。手のひらにのる程度の大きさのハードディスクですが、これで2400枚のCDを丸ごとお借りしたことになります。さっそく、その夜、九州の実家にある母のノートパソコンに繋いで再生してみると、パソコンにUSB接続しているOlasonic社の卵型スピーカー(TW-S7)から見事な音楽が高音質で流れてきました。これは本当に便利です。

暫く貸して頂けるとのことなので、当分の間、従兄の見事な音楽コレクションを楽しんでみようと思います。いやあ、本当に便利な時代になったものです。

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こちらはBAFFARO社のHP「ネットワークオーディオの楽しみ方」で紹介されていたシステム構成図。このHPですが、とても分かりやすくネットワークオーディオの事を解説しています。是非、一度、ご覧になって下さい。お勧めですよ。


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高校時代の同級生が見舞いに来てくれました [人と会っている]

昨日、高校時代の同級生が見舞いに来てくれました。私は福岡県の、とある公立高校を卒業しているのですが、多くが東京の大学に進学(私もこのパターン)したり、地元の大学を卒業しても勤務先が東京だったりする関係で、今でも沢山の同級生が関東にいます。高校在学時から仲良くしていた友人から、入院直前にメールで「久々にみんなで一緒に飲まないか」と誘われ、いやあ、実はこれこれこういうことでと返事したところ、一斉に同級生仲間に私の入院話が拡がってしまったようです。先週早々にメールをくれた友人が、そして昨日はその友人から聞いたと、もう一人の友人が、本や雑誌を持って、わざわざ、この遠い横浜の病院まで訪ねてくれました。

私が勤めている会社には、(これからステロイドによる投薬治療が始まり)当分の間、感染症になると大変なので見舞いは遠慮して欲しい旨の連絡をしているので、会社関係者が見舞いに来ることはありません。おかげで、のんびりとした入院生活を送っているのですが、(恥ずかしながら)時には人恋しくなってしまうのも事実です。そんなときに旧友が来てくれるのは、うれしい限りです。

お互い五十半ばと、昔のように社会的、経済的な成功を競い合うような青臭い時期も過ぎ、心の底から本音で話し合うことができる友人の存在は私にとって本当の宝物です。幸運なことに私には二人の、小中高まで同じ学校で過ごした今でも仲の良い友人がいますし、高校時代の友人にいたってはそれこそ何十人もの友人と、今でも連絡を取り合ったり、集まって飲んだりしながら親交を深めています。

今年の九月には、高校卒業三十五周年を記念して、高校時代に修学旅行で行った大分県別府に、もう一度みんなで集まって飲もうという話も持ちあがっています。それまでにしっかりと体を直して、みんなと楽しく酒を酌み交わしたいと思っています。

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こちらは、地元、北九州市で歯科クリニックを開業している高校時代の同級生の女の子が、私の入院を知り、見舞いのメールとともに送ってくれた写真。クリニック裏の遊歩道の桜並木ださそうです。女性らしい、なんとも優しい気遣いが心に染みいりました。本当にありがとう。

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前の写真とはうって変わって、何ともむさくるしい写真で恐縮です。こちらが今、私が入院している病室の様子。テーブル台の上のノートパソコンや枕元のタブレット、ポータブルCDプレーヤー等がお分かりになるかと思います。椅子の上には読みかけの漫画(「銀魂」)が置きっぱなしになっています。(汗)


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高校の同窓たちと久しぶりにお酒を飲みました [人と会っている]

先週末は、久しぶりに高校の同窓たちと神田の居酒屋でお酒を飲みました。集まったのは6人、某都市銀行の執行役員や某大手食品メーカーの部長、変わったところではかなり名の知れたルポライターや喫茶店のホール主任、事業家など、身分や職業は様々ですが、会ってしまえば、いつもの昔の仲間、和気あいあいと、お互いの思い出話や、近況を語り合いました。
二次会の居酒屋近くのカラオケパブには私を含めて4人が参加。4人のうち、(私を含めた)3人が小学校からの同窓ということもあり、ますます話が弾みます。北九州市内の、なんの変哲もない公立小、中、高校時代の友人たちと、30年以上たった後に、東京でこうして、お酒を飲むことになるとは、私を含め、この会の参加者の誰も想像していなかったかと思います。

飲んでいるうちに(小学校からの同窓である)ルポライターの友人から「最近は小説書いているの?」との手厳しい質問が飛んできました。彼は、私に大手出版社の編集者を何人か紹介してくれて、3年前、私が初めて書いた小説についてのコメントを貰うアレンジをして貰った経緯があります。

私  :「いやあ…何となく忙しくて、書いてないよ…」
友人:「そうか…」

実は3年前と比べて私はそんなに忙しくはなっていないのに、つい、こんな言い訳をしてしまいました。ダメですね。友達に嘘をついてしまっては…
もう、夏も終わろうとしているのに、私は一体、何をしているのでしょうか。もう一度、きちんと自分と向かい合って、見つめ直さないと、このまま、無為に時間は過ぎてしまいます。昔からの友達との語らいは、いろんな意味で私にとって刺激になりました。

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写真は、この日行った居酒屋「神田 新八」。このお店では埼玉の地酒「神亀」のいろんなお酒を飲むことができます。この日も生酒から吟醸酒、冷酒、お燗と色々なお酒を楽しみました。

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母が上京してきました [人と会っている]

(私、そして姉といった)子供たちの生活の拠点が既に関東へと移っている中で、77歳になる母は、昨年3月に父が他界してからも、大分県の、築100年以上の、古く、そして大きな家を独りで守ってきたのですが、今回、お正月を子供達と過ごそうと、久しぶりに上京してきました。去年の大晦日に飛行機で東京まで来て、江東区にある姉のマンションで3泊、3日に姉と甥(姉の息子)と共に私の横浜の家を訪れ、私たち家族と共に一緒に家でお昼ご飯を食べ、ゆっくりして貰った後、町田の叔母の家に4泊、7日には横浜で、今度は私達家族、義父母と一緒に、横浜の馬車道十番館でランチをした後、姉の家へ戻り、3泊した今日10日、九州の実家に帰っていきました。
今回、久しぶりに東京を訪れることで、子供や孫達、そして妹にもゆっくり会うことができて、母はとても嬉しかったようです。私も、一昨年に新築した自宅も見てもらった上、義父母とゆっくり話してもらうことができ、ホッとしました。
母はまだまだ元気ですので、これから折を見て、また上京してくれればと願っています。

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写真は母が私達家族、義父母と一緒に食事をした「馬車道十番館」。4F個室でのランチでした。

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出身高校の同窓会に出席しました [人と会っている]

先週の土曜日に、都心のホテルの宴会場で行われた、出身高校の同窓生の懇親会に参加しました。私の出身高校は福岡県の公立高校なのですが、関東や関西、そして九州の大学に進学した後、その多くが東京で就職することもあり、こうして地元の北九州市だけでなく東京(そして大阪でも)でもこうした集まりが毎年開かれています。多分地方の高校の中でもここまで同窓生達の集いが盛んな学校は、他にはあまりないかと思います。これも幹事役をやられている少数の諸先輩方の隠れた努力のお陰だと思うと、本当に頭が下がるばかりです。
会場には、東京の大学に入学したばかりの19歳の新人から93歳の大先輩まで、今年は総勢600名(!)を超える卒業生が集まりました。校長先生や、現役の先生方も北九州から駆けつけており、そしてゲストには懐かしい昔の恩師もいらしています。そして広い宴会場内には、卒業年次毎に置かれた円卓が並べられ、そこで旧友との邂逅を楽しみます。私の代(78期)も15名程の同期が集まりました。お互い、歳は十分とっていますが、会ってしまえば高校生の時に一気に戻ります。最初に東日本大震災で亡くなられた方々で黙祷を行い、開会の挨拶、来賓の方々のスピーチ等、そしてクイズ大会や景品くじびき大会などを楽しんだ後、校歌を全員で歌い、最後は幹事の引継ぎ(81期から82期)がおこなわれ、会は盛況のうちにお開きとなりました。
そして、その後は銀座のスナックへと場所を移し、同期だけの同窓会となりました。仕事の関係で2次会から参加した同期も加わり、場はますます盛り上がるばかりです。お互い、飲んで歌って、しゃべる、なんとも楽しい会となりました。そして男性陣は結局、2次会まで頑張り、私は、終電でなんとか横浜の自宅に帰り着きました。
翌日、私は二日酔いを抱えながら、日曜日の朝を迎えました。いつもの事なのですが、こうした昔の友人達とあった翌日、私は精神的に不安定になってしまいます。幸せそうな、成功して、自信に溢れた友人達の姿と出会い、そして、私は自身のこれまでの人生に対する悔恨の気持ちに満たされます。あの時は、まだみんな同じスタート台に立っていたのに、私はどうしてこのような人生を歩んでしまったのでしょうか。もっとあの時頑張っていれば、もし、あの時、こんな選択をしなければ、私の人生ももっと豊かなものになったのではないか、などと思ってしまうのです。そんなことより、これからの毎日をどう過ごすか、そっちの方がはるかに自身の人生にとっては重要なことですよね。私は青臭い未熟者です。まだまだ修行が足りません。

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写真は、出身高校の東京懇親会の今年のシンボルロゴ。私も三年前は幹事年ということで、東京での懇親会開催のため、手伝いをしました。

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久しぶりに、大学時代の彼女に会いました [人と会っている]

先週の金曜日、久しぶりに、大学の時(といっても本当に短い間)に付き合っていた彼女に会いました。彼女は一昨年、健康診断で乳がんが発見され、昨年夏に手術を受け、併せて抗ガン剤による治療を行いました。その結果、完治し、昨年冬から職場にも復帰しています。今回は仕事の打ち合わせで(私の勤めている)会社に来るとのことで、その打ち合わせの前に会社のビュッフェで会うこととなりました。私が彼女に前、会ったのは、手術後の病院に入院している時でしたので、半年ぶりの再会ということになります。どんな様子なのか、とても気になっていたのですが、本当に元気そうでホッとしました。定期的に病院でのチェックも受けているとのことですので、アフターケアも万全のようです。
闘病生活の様子、今の状況等を聞いているうちに、あっという間に時間が過ぎてしまったのですが、その中で、彼女が手術直後に写真館で撮った、自身のポートレート写真を見せてくれました。写真の中で、にっこりと笑う彼女の姿を見た時に、相当、色々な思いや覚悟のようなものがあったのではないかと思い、胸が一杯になりました。
(女性の年齢の話をするのは失礼ですが)40代の後半になりますと、家内もそうでしたが、男女の別を問わず、病気になる可能性が一時的に急激に高まるような気がします。その時にきちんと病院で治療を受け、併せて体全体のチェックを行い、その後生活に気をつけた方が、却って健康が長続きするのではないでしょうか。家内や彼女にとって、(これから長生きする上で)今回の病気は実は良いきっかけだったのではないか、そうであって欲しいなあ~などと、ツラツラと考えながら私は自分の机に戻りました。

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大学時代の彼女から「職場に復帰した」とのメールが届きました [人と会っている]

会社のメールアドレスに、大学時代の彼女から「職場に復帰した」とのメールが届きました。彼女が乳がんで入院し、手術を受けたのが7月ですから、3ヶ月間程、自宅で療養し、職場に復帰したことになります。一度メールで近況を聞いた後、私も新居への引越しやらでバタバタしていて、連絡を取り合っていませんでした。久しぶりの彼女からのメールは希望と感謝に溢れたもので、私を心からホッとさせてくれました。
まだ、フルに働いているようではなく、体調を見ながらこれから徐々に体を慣らしていくのでしょうが、只でさえ頑張り屋の彼女のことですから、無理だけはしないようにと祈るばかりです。
こうして、彼女も、そして私も、それぞれ、また新しいステージでの生活を11月から始めていくことになります。一見、単調なようですが、一日一日、毎日の積み重ねが、それぞれの大きな人生の流れとなっていくのでしょう。これまでよりも、「今」を大事にしなくてはと、彼女からのメールを読みながら、そう思いました。

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出身大学の校友会から招待されたホームカミングデーの記念式典に出席しました [人と会っている]

先週の土曜日、大学を卒業して25年目ということで校友会から招待された記念式典に出席してきました。記念会堂で開かれた式典自体は、総長挨拶、校友会代表幹事式辞、招待者代表挨拶といった式次第でしたが、さほど堅苦しいものではなく、フランクなもの(特に岡田前サッカー日本代表監督の挨拶は面白かったです)でした。そして、最後に校歌を皆で歌いました。その時ばかりは、なんともいえない懐かしさに胸がいっぱいになり、気づいたら(力一杯)大声で歌っていました。(苦笑)

この歳になると、こうした式典に参加したり、同窓会に出席したりと、自身のこれまでの人生みたいなものを振り返る機会も増えてきますが、その度毎に、自身の苦い思い出を、悔いと諦めを持って再度噛み締めます。そのこと自体は余り楽しい体験ではないのですが、多分、今の私にとって、必要なことなんだろうと思います。

「あの時、ああしていれば、私の人生はどんなに変わったのだろう…」、これまで、自身で閉ざし続けてきた可能性を検証することこそ、もう残り僅かな、これからの人生を、ほんの少しでも良いものへと変える力となるのでしょう。そんなことをつらつらと思いながら、私は、25年前、毎日のように通った道を俯き加減に歩いて、駅へと向かいました。

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昨夜、高校時代の仲間たちと久しぶりに飲みました [人と会っている]

高校時代の同級生が、転勤で千葉の方に単身赴任とのことで、先週の金曜日、東京にいる高校時代の同級生たちが集まり、ささやかな歓迎会がありました。私の卒業した高校は福岡県の公立高校なのですが、卒業生の多くが東京にいます。会社を経営している人もいれば、弁護士や医者、教師や役人、官僚など、中には防衛庁の幹部(元イージス艦艦長)やノンフィクションライターといった変り種もいるのですが、その多くがサラリーマンです。昨夜の飲み会も皆、サラリーマンばかりで、もう、お互い、会社内でのポストがどうだとか、そういう見栄を張る時期も過ぎ、腹を割った付き合いになっています。
昔の仲間に会ったとたん、いつも間にか忘れていた訛りもバンバン出て、高校生のときの自分に戻ります。いつものように昔話に花が咲いたのですが、「実はあの時、俺は…」といった、当時知りえなかった裏話や本当の心情がどうだったといった話がよく出るようになりました。この歳になって、今頃そんな話が出てくるというのも、とても興味深いのですが、歳をとって当時の体験を振り返ってみて、初めてそのとき自分が何をどのように受け止めて、感じていたのかが分かることがあるのではないかと思います。という訳で、いつまでも、近況報告と思い出話に話は尽きず、いつものように沢山お酒を頂きました。

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写真は、高校時代の仲間が集まった新橋の九州郷土料理の居酒屋。このお店は「(出身高校別)高校よせがきノート」で有名で、1000冊を越したノートの棚が壮観です。私の出身高校のノートもあり(なんと、整理番号は一桁)、OBたちがよく書き込んでいるようです。

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