SSブログ

父が他界しました(2) [考えている]

火曜日はとても肌寒く、そして午後からは急に雨まで降り出すという、まるで私たちの気持ちが、そのまま天気になったような、冷たくそして悲しい一日でした。そのような天気の中、夜、斎場で通夜が行われ、多くの親戚や縁者の方に来ていただきました。
翌日の水曜日は、昨日の悪天候がまるで嘘のような、春の始まりを感じさせるような快晴の暖かい一日となりました。母、姉、そして私の三人は、父のお棺と共に霊柩車に乗って、親戚の乗ったマイクロバスと共に焼き場へと向かいました。母は運転手さんに頼んで、ちょっと回り道をしてもらい、父のお棺を載せた霊柩車は、父の生家である叔父の家と、亡くなるまで住んでいた自宅近くを巡りました。道の両脇には多くの菜の花が咲き、とても鄙びた美しい風景が広がっています。考えてみれば、(父は私たちが大学を卒業してから運転免許を取得したこともあり)こうして家族四人、水入らずで一つの車でドライブしたのは、これが初めてかも知れません。これが最期の家族旅行だなんてと思うと涙が溢れてきます。ちょうど母と姉の席は私の前と後ろなので、(私の涙は母と姉に)知られずに済んだ事を祈りつつ、私は脇のお棺を無意識に手で撫でながら、ぼんやりと外の景色を見つめていました。そして、車は自宅近くの田舎道を過ぎ、左手に別府湾を臨む大きな幹線道路に入りました。海もとても美しく、本当に穏やかな天気です。すると、ふと、まるで、脇の父が私に「お母さんのことを頼んだぞ…」と言っているような気がしました。いや、違います。父が言ったのではありません、私は自分の中に、これまで父が倒れてから、二ヶ月余りの間、自分に問いかけ続けてきた、父がもし意識があったら、私に何と言うだろうという問いの答えを、今、やっと見出したのでした。また涙が溢れてきます。今年になってから私は泣いてばかりです。
車は海沿いの道から、今度は山道へと入り、美しい山々の木々の間を登りながら焼き場へ着きました。そして父の遺骨を骨壷に収めると、また斎場へ戻り、その日の午後にはお葬式、そして初七日の法要、翌日の午前中は菩提寺の和尚さんにお礼参りを済ませ、一連の法要は、とりあえず一段落となりました。(続く)

DSC00394.JPG
DSC00405.JPG
写真は焼き場へ行く途中の道、下の写真の奥に見えるのは父の生家です。ただ、当時の家は昭和37年、私が生まれた一週間程後に焼失してしまい、今、写っているのはその後、建て直されたものです。

共通テーマ:日記・雑感