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次女が昔使っていたトートバックにバックインバックを入れて使っています。 [小説を書いている]

普段、会社に行く際には実用一辺倒の武骨なビジネスリュックを使っているのですが(このビジネスリュックを購入した時の記事はこちら→https://syoso-chunen.blog.ss-blog.jp/2023-12-13、夜、会食があったり、外で社外の方と会うようなときには、次女が昔使っていたCOACHのトートバックを引っ張り出して使っています(汗)。

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こちらがそのCOACHのトートバック

このトートバック、見た目はお洒落なものの、バックの入れたものを取り出すのに何がどこにあるのか、探すのに苦労したりと普段使うにはかなりの不便さを感じていました。そこで、新たに、このトートバックにジャストサイズのバックインバックを購入し、トートバックに入れて使っています。

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こちらが今回購入したバックインバック、アマゾンで2700円くらいでした。

バックインバックを入れたことでポケットの10個(内側に6個、裏面に3個、そして表面の大き目のポケットはファスナーがついています)も増え、荷物が整理できることで鞄としての機能性が一気に向上した上、トートバック自体も自立するようになり、ふにゃふにゃと床に倒れることもなくなりました。これは本当に便利です。私のようなシンプルなトートバックを使っている方には必需品かと思います。

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トートバックにバックインバックを入れた様子。本当に便利です。

こうして誰も使っていなかったブランドもののバックが生き返りました。これから大切に使っていこうと思っています。


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妻と一緒に横浜駅近くの映画館で映画「キングダム 運命の炎」を観ました [小説を書いている]

今週の火曜日は午後から会社を休んで、JR横浜タワーの商業施設であるニュウマン横浜内の映画館「T・ジョイ横浜」で妻と一緒に、原泰久の人気漫画を実写映画化した大ヒット作「キングダム」シリーズの第3作となる「キングダム 運命の炎」(2023年/日)を観ました(前作となる映画「キングダム2 遥かなる大地へ」を一年程前に観た時の記事はこちら→https://syoso-chunen.blog.ss-blog.jp/2022-08-10

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映画「キングダム 運命の炎」ポスター

本作では原作漫画の「馬陽の戦い」と「紫夏編」が描かれています。漫画やアニメで既にあらすじは知っているものの、どのように映画化されているか、期待に胸を膨らませながら観たのですが、アクションシーンは迫力があったものの、説得力には少々欠けるというか、少々物足りないと思わせるシーンもあったというのが正直な感想です。とはいえ、キャストは豪華極まりないというか、日本を代表する人気男優たちがどんどん出てくるのは爽快ですね。力の入りようが違います。

「馬陽の戦い」については途中で終わっており、続編で完結するようです。こうなると次作が楽しみです。どこまで映画化されるのか見当もつきませんが、映画化がこれからも続くことを祈っています。


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佐川恭一著「清朝時代にタイムスリップしたので科挙ガチってみた」を読み終えました [小説を書いている]

今日の午後、会社の執務室で佐川恭一著「清朝時代にタイムスリップしたので科挙ガチってみた」(集英社)を読み終えました。かなり前に週刊誌の書評を読んで、この本に興味を持ち、図書館に貸し出し予約をしていたものです。もう既に多くの方が予約していたこともあり、今頃(6月)になって、やっと借りることができました。

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佐川恭一著「清朝時代にタイムスリップしたので科挙ガチってみた」(集英社)

超絶難関校に通う天才・英俊は、帰路、女子のミニスカからちら見えするパンティーに気を取られ、デコトラに跳ね飛ばされてしまう。気づくとそこは清朝の中国だった。そこで彼は科挙に人生を懸けることにした。ある不埒な目的のために(「清朝時代にタイムスリップしたので科挙ガチってみた」)。同級生が描く尋常じゃないくらい上手いエロ漫画。それを読むことが出来るのはマラソン大会の優勝者ただ一人! 少年たちの熱い火蓋が切られる――(「少年激走録」)。30歳になるまでに必ずや童貞を喪失したい男は、予行演習のためファッションヘルスへ。その後本命のソープランドで喪失予定だった。しかしヘルスでまさかの本番に(「スターライトパレスパート2にて」)。ほか、恋と脱童貞を求める男たちの、悲哀と諧謔に満ちた全9話。
(以上、Amazonにおける商品ページからの引用)

いやあ、久しぶりに本を読んで、お腹を抱えて笑いました。ホント、面白いです。その上、テンポも良く、一気に読み進めることができます。また、随所に、とても鋭い考察(?)もちりばめられていて、飽くことはありません(特に本書167P、「スターライトパレスパート2にて」における生と死についての考察は痺れました...)。実は最初、通勤電車の車内で読んでいたのですが、ちょっと「変な人」認定されてしまいそう、かつ、とても恥ずかしかったので、自室や執務室で読みました(苦笑)。

ウィキペディア(Wikipedia)によると、著者の佐川恭一氏は1985年生まれ、京都大学文学部卒で公務員として勤めながら執筆活動を行っていたとのことで、家族は妻と長女、好きな作家は大江健三郎とのこと。他にも色々と小説をだしているようですので、機会を見つけて読んでみようと思います。

こうして、私は「童貞文学」という小説スタイルを知り、新たな素晴らしい日本人小説家を知ることができました。マジに、かなり嬉しいです。


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通勤電車の中で猪木武徳著「社会思想としてのクラシック音楽」を読み終えました [小説を書いている]

昨日、会社に向かう電車の中で、猪木武徳著「社会思想としてのクラシック音楽」(新潮選書)を読み終えました。この本は以前、日本経済新聞の書評で薦められていて興味を持ち、図書館で貸出予約をして、やっとこうして借りることができたものです。

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猪木武徳著「社会思想としてのクラシック音楽」(新潮選書)

「本書は筆者の研究分野である社会思想、特にアダム・スミス、トクヴィル、オルテガなどの自由思想の視点からクラシック音楽の歴史を振り返ったもの」(以上、本書「あとがき」からの引用です)でして、筆者の猪木氏は経済学者で、大阪大学の名誉教授です。本書、そして内容は以下の各章から構成されています。

「神」に曲を捧げたバッハ。「貴族」のために曲を書いたハイドンと、「パトロン」を失ってから傑作を連発したモーツァルト。「革命」の足音を聞きながら作曲したベートーヴェン、「大衆」を酔わせたワーグナー、「民族」を意識したヤナーチェク。そして、「独裁者」に頌歌を要求されたショスタコーヴィチは……!? 音楽家たちを一流の思想家として描き直し、彼らが見事に捉えていた政治と経済の構造変化から、近代社会の光と影を浮かび上がらせる。
(以上、「Amazon」商品の説明「出版社からのコメント」からの引用です)

第一章 芸術の「送り手」は誰を意識したか
第二章 自意識と流行
第三章 ナショナリズムの現れ方
第四章 体制と芸術における「規模」
第五章 技術進歩がもたらす平等化
第六章 パトロンと批評家の応援
第七章 政治体制と音楽家
第八章 言葉、音楽、デモクラシー

どの章も、とても興味深く読んだのですが、私は特に第八章の『3.「調性を失った音楽」が意味するもの-デモクラシーと芸術の運命』は、思わず夢中になって読みました。深く考え抜かれた素晴らしい論考であると感心することしきりです。著者はなんて高い教養を備えた方なんでしょうか。翻って、自身の無教養さを恥じるばかりです。

本書を読むと、社会思想、政治体制と芸術(音楽)は密接に関係しあい、場合によってはお互いに影響を与え合っていることが良く分かります。そうした環境の中で、各々の音楽家たちがあるときは運命に弄ばれ、またある時には自ら運命を切り開きながら生きていく様は、時に非常にスリリングなものとなります。モーツァルトしかり、ワーグナーしかり、そしてショスタコーヴィチしかりです。

ただ、そうにも関わらず、彼らの音楽は時を超えて、私たちを感動させ、ミューズの存在を確信させます。では、現代における「調性がない」音楽は一体、どのように位置付ければ良いのでしょうか。

それは聴衆の不在であり、著者のいうとおり、価値という概念とは無縁な音の世界の出来であり、政治体制との類比で考えれば、徹底した平等を謳うデモクラシーは、十二音の音高の均等性によって中心を失った音楽のように。「多数の専制」がもたらす無秩序が、政治権力によって強いられた見せかけの秩序という、自由の精神とは全くかけ離れた世界と見ることが出来よう。(以上、本書における著者の最後の文章からの抜粋、引用です)

この結びの文章には痺れます。本当に素晴らしい考察だと、ただただ感心した次第です。実際のところ、音楽、そして社会は一体、どこに向かっていくのでしょうか。正直に言って、それはあまり良くない方向であるような気が、私もしてなりません。


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呉 明益著「複眼人」を読み終えました [小説を書いている]

先ほど、会社の執務室で台湾の現代小説家、呉 明益(ウー・ミンイー 1971年~)の長編小説「複眼人」(KADOKAWA)を読み終えました。彼の作品を読むのは「歩道橋の魔術師」(原題「天橋上的魔術師」)、「自転車泥棒」(原題「單車失竊記」)に続いて三作目となります。特にこの「複眼人」は、私にとっては、5年前に彼の作品に初めて接した時から読んでみたいと思っていた小説(台湾では2011年に出版されました)でして、その後、英訳された洋書も購入しながらも、(私の未熟な英語力のせいで)読むことができないままとなっていたものです。そのような経緯もあって、今年4月にKADOKAWAから邦訳が出てからというもの、図書館で借りれるようになるまで何度も図書館のサイトでチェックし、やっと、こうして借りることができました。

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呉 明益「複眼人」(KADOKAWA)。カバーの絵は作者本人によるものです。

ちなみにこれまで呉 明益の小説について私が書いた記事は以下のとおりです。
「呉明益著「歩道橋の魔術師」を読み終えました」
 →https://syoso-chunen.blog.ss-blog.jp/2016-07-04
「台湾の作家、呉明益の長編小説「自転車泥棒」を読み終えました」
 →https://syoso-chunen.blog.ss-blog.jp/2019-06-29

本書は、

時に美しく、時に残酷な、いくつもの生と死が交差する、感動長編。
次男が生きられぬ神話の島から追放された少年。自殺寸前の大学教師の女性と、山に消えた夫と息子。母を、あるいは妻を失った先住民の女と男。事故で山の“心”に触れた技術者と、環境保護を訴える海洋生態学者。傷を負い愛を求める人間たちの運命が、巨大な「ゴミの島」を前に重なり合い、驚嘆と感動の結末へと向かう――。
人間と生物、自然と超自然的存在が交錯する世界を、圧倒的スケールと多元的視点で描く未曾有の物語。
(以上、Amazonの「複眼人」のサイトからの引用です)

というものでして、非常に多くの人物が登場し、そして彼らの抱えた個々の、そして共通する様々なテーマについて語られた、まさしく「複眼的」な物語となっています。私の読後の正直な感想は、呉 明益氏にはもっともっと詳しく、個々の登場人物、テーマについて書いて欲しい、今の本の厚さの三倍くらいになっても良いから書いて欲しかったという、何とも我儘なものでした。好き勝手に言わせてもらうと、本書の前半部分については申し分ないものの、途中、中盤あたりから物語は少し足踏みしてしまいます。そして、その遅れを取り戻すように終盤は一気に駆け足になってしまったような印象を受けます。それが少し残念に思いました。意地悪な言い方をすれば、多くの魅力的な登場人物、そして多くのテーマを「複眼的」に扱ったあまり、ものによっては中途半端な印象となってしまい、物語の焦点が少しぼやけてしまった感じがします。

逆に言えば、それだけ本書は極めて現代的というか、多種多様な魅力に溢れていると言えるのかもしれません。実際のところ、私はこの小説にそれこそ夢中になり、そして一気に読み終えました。とても充実した読書体験を得ることができました。

作者の呉 明益は2019年には「雨の島」(原題「苦雨之地」)を発表しています。今はこの小説が早く邦訳されることを祈るばかりです。


こちらはYoutubeにアップされている「Bob Dylan - A Hard Rain's A-Gonna Fall (Audio)」。本書において、この歌は重要な意味を持ちます。


そして、こちらがYoutubeにアップされている、この小説中でも紹介されている台湾のシンガーソングライター、パナイ·クスイの動画「巴奈│白米酒 │勇士與稻穗 演唱會紀實」。彼女は台湾の先住民族、阿美(アミ)族と卑南(プユマ)族のハーフでして、先住民の権利、地位保全に係る社会活動家としても良く知られています。


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横浜の中古レコード・CDショップで二枚の中古レコードを入手しました [小説を書いている]

先日、所用で横浜 関内に行ったときに「ディスクユニオン 横浜関内店/関内ジャズ館」を覘いてみました。ちょうどディスクユニオンから「中古品400円OFF(総額2000円以上で利用可)」のお知らせをメールで貰っていたので、何か良いものがあればと思っていたのです。そしてクラシック音楽、ロックそしてジャズのコーナーを丹念に見て、結局二枚の中古レコードを(値引き後となる)1700円で購入しました。

購入したのはアメリカのアメリカのジャズ・トランペット奏者、フリューゲルホルン奏者であるアート・ファーマー(Art Farmer 1928~1999年)の、1977年の日本でのライブアルバム「Art Farmer LIVE IN TOKYO」と1983年に発表された日本企画盤「処女航海」の二枚です。アート・ファーマーは私の好きなジャズマンでして、これまでも何回か記事で紹介しています。

(私がこれまで書いたアート・ファーマーの紹介記事)
「アート・ファーマの「おもいでの夏」はとても素敵なワン・ホーンのジャズの一枚です」
 →https://syoso-chunen.blog.ss-blog.jp/2011-05-09
「昨夜、蒲田のジャズバーで素敵なレコードと出会いました」
 →https://syoso-chunen.blog.ss-blog.jp/2015-11-10
「久しぶりにアート・ファーマーの「Art」をじっくり聴きました」
 →https://syoso-chunen.blog.ss-blog.jp/2020-05-08

「Art Farmer LIVE IN TOKYO」は、ジャッキー・マクリーンとの共演も聴ける好演盤でしたが、「処女航海」の方はジャズというよりイージーリスニングといった趣きでして、私はあまり感心しませんでした。どちらも代表作というより、アート・ファーマーのファンが聴いて楽しむといった感じのレコードでした。

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こちらが今回購入した二枚の中古レコード

私は彼のファンなので、彼の優しいトランペット、フリューゲルホルンの音色を聴くだけで何となく安心してしまいます。地味ながらも素敵なジャズ奏者だと再確認した次第です。


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文学賞に応募しました [小説を書いている]

昨年の3月に何とか書き上げ、とある新人賞に応募した処女作(原稿用紙250枚程度の小説、応募結果は一次選考にも残らないという、悲しい結果でした)については、ずっとそのままにしていたのですが、今回、もう一度、全てを見直し、一部、省いたり、書き足したりといった、手を入れた上で、先週、別の文学賞に応募してみました。
この作品を読んで、色々なアドバイスをくれた大学時代の後輩から、一部ミス等も見られるので、もう一度、きちんと見なおした上で、別の新人賞に応募してみてはと強く勧められたこともあるのですが、やはり、前回、中途半端なまま応募してしまったという、後悔があり、やはり、きちんと自分で納得した形にした上で、評価してもらいたいと思ったことが最大の原因です。自分なりに納得する形にすることができたので、今は、すっきりとした気分です。もう、この作品については、これ以上、何かするつもりはありません。これからは、これも1年程前に書きかけ(現時点で原稿用紙30枚程度)のまま、放置していた次作(仮題「兄」)に専念しようと思っています。処女作は三人称で書いたのですが、こちらは一人称(僕)の小説です。久しぶりに読み返してみたのですが、続きを書きたくなりました。これからちょっと、頑張ってみます。

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写真は「太宰治賞2011」(河出書房編集部)

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やっと、以前書いた小説に改めて手を入れる作業を開始しました [小説を書いている]

昨年の3月に何とか書き上げ、とある新人賞に応募した処女作(原稿用紙250枚程度の小説、応募結果は一次選考にも残らないという結果でした)については、その後、もう一度きちんと手を入れようと思いながら、なかなか本格的な作業に入れずにいました。昨年、それまで住んでいたマンションを売却し、一戸建ての二世帯住宅を建てて新居での生活をスタートさせたり、今年に入って父が病に倒れ、亡くなったこと等、プライベートでバタバタとしていたせいもあるのですが、最大の理由は、私がこの小説を最終的にどのようにしたいか、(獏としたものにせよ)何らかのヴィジョンをこれまで持っていなかったからです。
ここにきて、この小説に手を入れようと思い立ったきっかけをくれたのは、大学時代のサークルの後輩からの一通のメールでした。文筆家の彼はその中で、自身の執筆状況等の近況を伝えながら、私の書いた小説をこのままにしておくのは勿体無いので、別の新人賞に応募するか、直接出版社に送って、見てもらえば良いのではとアドバイスをしてくれていました。そういえば、彼とはここのところ、ゆっくり話もしていなかったこともあったので「一度、直接会おう」という話にさっそくなり、先日、湯島で久しぶりに彼と会い、大学時代から通っている飲み屋で盃を重ねました。そしてその夜、彼と話をしているうちに、もう一度、あの小説にトライしてみようという気持ちが芽生え、そしてここ2週間程、この小説をことを考えた結果、自分なりの方向性のようなものも、ある程度、掴めてきたような気がします。
さて、いざ書くとなると、昼間は仕事でまた夜、飲む機会も多いため、ちょっとした自由な時間を見つけては、こちょこちょと書くこととなります。そこで、以前、小説を書くときに使っていたJornada720というハンドベルドWindowsCE機を持ち出してみたところ、なんと液晶の表示が不良(多分、フレキシブルケーブルの断線)で使えなくなっていました。(これまで大切にしていたものなので、実はかなりショック…)
何か、キーボードが付いた文章入力装置が必要ということで用意したのが、(これも古いものなのですが)パナソニックのCF-R5、レッツノートと名づけられたノートパソコンです。これは1kgを切るB5サイズの1スピンドルノートパソコンで、バッテリーの持ちも良く、普段持ち歩いてもそれほど負担とはなりません。このパソコンに縦書きが可能なフリーのエディターソフトである「Vertcial Editor」をインストール、広辞苑、Wikipedia等の辞書データもハードディスクに入れ、これもフリーの辞書ソフトである「EBwin」もインストールし、環境を整えました。
今、ウィトゲンシュタインの「論理哲学論考」を読んでいる最中なのですが、それと並行する形で、とりあえず何とか、この小説に手を入れていくことにします。後はどれだけうまく自由な時間を確保できるかですね。頑張ってみます。

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写真はパナソニックのノートパソコン「CF-R5」、今はWindowsXPで動かしていますが、古い機種ながらWindows7でも動作するようですので、将来XPのサポートが切れるまでにはWindows7をインストールして、モバイルパソコンとして使いつづける予定です。

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前に書いた小説を大きくリライトしてみようと思っています [小説を書いている]

今年の春になんとか書き上げた処女作については、(記念に)とある新人賞に応募して、それでおしまいと考えていたのですが、ここに来て、もう一度大きくこの小説に手を入れてみようと思い始めています。この処女作には、(作者の私でも)どうにも鼻につく部分があるのです。それは、もしかしたら第一稿を見て頂いた編集者の方から言われた「(主人公に)共感できない」部分と重なるところではないかと思うのですが、その部分が中途半端となっていることで全体のトーンも少し微妙なものになってしまっているような気がしてなりません。実は、次作は既に書き始めている(といってもまだ原稿用紙30枚程度ですが)のですが、それは一旦中断して、もう一度処女作に取り組みたいと思います。具体的には、これまでのストーリーをもう少し整理し、余計なエピソードとかは省いて、話の流れを骨太にした上で、新たなモチーフを書き加えてみようと考えています。問題は仕事とプライベート共に、ここに来て、かなり忙しくなっている中で、小説のための時間が確保できるかどうかですね。うまく時間をやりくりしながらもう一度トライしてみようと思います。

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電車の中では、古いZaurusを使って、小説を書いています [小説を書いている]

先週あたりから書きはじめた小説についてですが、未だ原稿用紙12枚程度、序章も序章、これからという感じです。私の場合、実際に書いてみないと、どうストーリーが展開するのか分からないので、とりあえず書けるところまで書いて、また考えるという、かなり行き当たりばったりな作業となります。そのため途中でストーリーが当初の予定からまるで変わったり、勝手に別の話が加わったりすることはしょっちゅうです。この、かなり、いい加減な執筆スタイル(苦笑)ですが、これは私だけなのでしょうか?他の方々、例えばプロの作家はどのようにしているのでしょう?いつか機会があったら、関係者の方々に聞いてみたい事の一つです。

相変わらず、仕事もプライベートもバタバタしているので、通勤途中の電車(それも行きの電車だけです。帰りは疲れていたり、お酒が入っていたりで、殆ど無理です)の中が、主な執筆場所です。立ったまま書くことも多いので、今は、昔、使っていて、今は机の引き出しで眠っていたZaurus(SL-C1000という2005年に発売されたPDA、いつかAndroidでもインストールして、遊んでみようなどと考えていました)を引っ張り出して、簡易執筆ツールとして使っています。インストールしたエディター(Zeditor)と日本語変換システム(Anthy)を使って書いているのですが、扱い易いクラムシェル型の筐体、液晶が見やすいこと、そしてなによりも、たったままでの作業にも対応する、両手で抱えての親指タイプにぴったりのサイズとキーボードは本当に使い易く、重宝しています。今は生産も終了し、その後継機種として、同じLinuxベースのNetWalkerが発売されていますが、僕にとっては未だにこの古いSL-C1000がお気に入りです。
「もしかして、ただのPDAとかデジタルガジェット好きじゃないのか?」とのツッコミも、実のところ、かなり当たっているのですが(苦笑)、モバイルでのデジタル環境を自分なりに如何に整備するかという問題は、今の日本のサラリーマンに共通する、一つの課題ですよね。昔と違って、WiFiやSimフリー等、デジタル環境整備が進み、iphoneやXperiaといった、スマートフォンが大はやりとなっている今の状況は、私にとって、とても嬉しいことです。この課題については、多分、今後も試行錯誤を続けていくことになりそうですが、ZaurusやJornada、Cassiopeiaといった、昔のこうしたPDAも、使い方を絞れば便利に使えますし、それなりにつくりがしっかりしていて、味があるものです。あえて、こうした機器をオークション等で安く手にいれて、活用するのも一つの方法だと思います。

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写真はZaurus SL-C1000

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