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先輩の同僚が亡くなりました [考えている]

3月3日の日曜日の朝、勤務先の部下から、私の先輩にあたる同僚が3日の未明に亡くなったとの知らせを受けました(享年65歳)。亡くなった同僚と私は、2月28日に昼食を共にしたばかりで、彼はその翌日から名古屋に出張、3月1日には元気に戻ってきたと聞いていたこともあり、にわかには信じらせませんでした。慌てて部下に電話をして確認したのですが、間違いないとのこと。彼とは約2年間、同じ役職に就き、部屋を並べながら業務を共にし、二人とも出社の際には常にお昼をご一緒させて貰った間柄でして、余りの出来事に私は強いショックを受け、何も手につかなくなってしまいました。

3月5日の夕方、東京 世田谷にある葬儀場の安置室で故人に面会することができました。ちょうど、ご家族の方々もいらっしゃったので、お亡くなりになられた時の詳しい話を聞くことができました。彼とその家族は愛犬と一緒に2日の土曜日から湯河原のグランピング施設で過ごし、その日の夜、みんなでワインを飲みながらバーベキューをした(彼は「今日は本当に楽しい」と何回も言っていたそうです)後、彼は風呂に入ると言い、少し離れた施設内の少し離れた温泉に一人で行き、その湯船の中で亡くなっていたそうです。ご家族も毅然と振舞っておられましたが、余りに突然の出来事に茫然とするばかりだったようです。

安置室に寝かされた故人の姿は、まるで眠っているようで、今にも「ようっ!」と起きてくるように思えてなりません。気まぐれをおこした死神が、彼のふとした一瞬の油断を突いて、彼の命をカマで刈ってしまったような、そんな気がしてならないのです。

そして東京 品川区の斎場で、8日の金曜日の夜に通夜、9日の土曜日の午前中に告別式が営まれました。200基を超える生花が供えられ、通夜には亡き彼を偲ぶ、650名を優に超える参列者が来られ、また多くの著名企業の社長を始めとする多くの方々からの弔電が届いたとのこと。彼は今の役職に就く前は、永く専務として現業(営業)を率いてきました。彼の、曲ったことが大嫌いな、実直かつ思いやりに溢れた優しい人柄が、多くの仲間や部下、そして社外の色々な方々から慕われていたことに、改めて気づかされた次第です。

私も通夜、告別式共に参列させて頂きました。訃報を聞いてからずっと、私の頭から離れない「なぜ?」という想い、そして「これまで、本当にありがとうございました」という感謝の念、そして「安らかに御眠りください」という願いが、滅茶苦茶にぐちゃぐちゃになって、私の心を支配してます。

こうして怒涛の一週間が過ぎていきました。今も私の心が晴れることはありません。ただただ彼の死を惜しみ、そして悼むばかりです。私が、彼の死のショックから立ち直ることは、当分の間は無いでしょう。


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62歳になりました [考えている]

私事で恐縮ですが、今月で62歳になりました。正直に言って、感慨のようなものは全く感じることはありません。感じるのは焦燥感そのものです。私は一体、これまで何をやってきたのだろう? 何もかもが中途半端なように思われます。いつの間にか、こうして歳を取ってしまいました。

仕事はとりあえず65歳までは続けることとなりそうですが、その後の展望は全く描けていません。加齢による体力、そして知力や記憶力の低下も、だんだん激しくなっているように思われます。なんだか自分が情けなくなることも増えてきました。世の、62歳の男性諸君はどんな感じなんだろう? 多分、それこそ千差万別なのでしょうね。比較すること自体、全く無意味なようにも感じます。

とはいえ、私は生きていくのでしょう。出来ることが次第に少なくなっていくなかだからこそ、慎重かつ大胆な決断が今こそ求められているのだと思います。音楽を聴くこと、本を読むこと、体を動かすこと、ジャズピアノを練習すること、そして、何といっても勉強することといった、自身の基本的な生き方そのものをもう一度、きちんと自分なりに見直して、何もかも思いつきでやるのではなく、取捨選択しながら自身の日々の生活をしっかりと立て直していくことが、今、まさに求められていることだと痛感します。

60歳を超えると、歳をとること自体、決してうれしい事ではありませんが、こうして、これまでの人生を思い返して、また、新たな決意を持って生きていこうと気持ちを新たにした次第です。


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ブログの更新が滞ってしまっています [考えている]

前回、2月中旬に盛岡と仙台に出張に行った記事をアップして以来、ブログの更新が滞ってしまっています。理由は単純でして、2月下旬以降、公私ともに忙しくて、記事を纏める時間が殆どないからです(泣)。

2月下旬には次女が自宅から、結婚相手と暮らす都内の新居へと引越し(もちろん、男手である私は手伝わさせられました)、3月に入ってからは、妻と二人で二泊三日の滋賀、大津へのドライブ旅行、旅行から帰ってきた次の日には、父の13回忌に合わせて三泊四日で、九州、大分の実家に帰省、そして明日からは仕事でベトナムのホーチミン、タイ、バンコクへと出張(今週の土曜日の早朝に帰国予定)する予定となっています。

その上、バンコクから帰国した土曜日の夜は、東京で単身赴任をしている義理の弟の家族(奥さんと中学生の娘さん)が久しぶりに福岡から上京するというので、私たち家族(私、妻、長女、次女夫婦)と一緒に渋谷で一緒に食事をする予定です。

さすがに20日以降になれば、少し時間に余裕がとれそうなので、のんびりとブログを再開しようと思っています。どんな方が私のブログを読んでくださっているのか、まったく想像もつきませんが(汗)、今暫くお待ちください。


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61歳の誕生日を迎えました [考えている]

昨日、私は61歳の誕生日を迎えました。朝から会社に出社すると、秘書が「お誕生日おめでとうございます!」と祝ってくれた上、午後にはお祝いのケーキまで用意してくれました。彼女の細やかな心遣いには感謝しかありません。

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この日、秘書が誕生日のお祝いに用意してくれたケーキと紅茶、コーヒー。

夜、自宅に戻ると妻が、先日手に入れたバーミキュラのライスポット(入手した時の記事はこちら→https://syoso-chunen.blog.ss-blog.jp/2023-01-26の低温調理機能を使って、美味しいローストビーフを作ってくれていました。ビール、そして赤ワインと共に二人で食事を楽しんでいると、独り住まいをしている長女も(別の用事で)自宅に来たついでに遅れて参加、夜遅くには仕事を終えた次女も帰宅し、結局、家族水入らずの楽しい飲み会となりました。

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夜、妻が用意してくれた料理。

ちょうど、この日、私は勤務先の社長から、今年の6月末からもう一期(4年)、現在の役職を続けて欲しいと言われました。これにより私は65歳過ぎまで、これまでと同じ待遇で、会社生活を続けていくこととなります。正直、有り難いという気持ちで一杯です。ただ、言い方を変えれば、私は4年4か月後には会社を卒業して、第二の人生をスタートさせなくてはなりません。そのためには私は、今、何をすべきかを考え、そして着実に実行しなければ、充実した老後の人生を送ることはできないでしょう。そういう意味で、私は今、崖っぷちに立っています。残された会社人生は1600日足らずです。これまでいい加減に生きてきた私ですが(汗)、「ここからが正念場なんだなぁ」と改めて気を引き締めた次第です。

さあ、もういい歳なんだから、さすがに頑張らなくっちゃね。


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日曜の日本経済新聞の最終面に載っていた詩について [考えている]

今日、いつものように朝のコーヒーの用意をしながら、自宅でとっている日本経済新聞の、「私の履歴書」や作家のエッセイ等が載っている最終面に目を走らせました。ご存知の通り、日本経済新聞は主に経済を中心に扱う、お堅い新聞ですが、日曜日は「旅、食、ファッション、芸術、住まいなど幅広いテーマを独自の視点でカバーし、新しい価値をお届けします」と謳う、日本経済新聞社と日経BPが共同運営している「NIKKEI STYLE」が差し込まれていたりして、平日よりも楽しい紙面が多いのが特色となっています。

最終面には「詩探しの旅」と第された、ドイツ在住の日本語の詩人である四元康祐氏の小さなコラムがあり、これを読むのも私の小さな喜びの一つなのですが、「専制の時代へ進む船」と第された今回は、ルーマニアの女性詩人、アナ・ブランディアナ女史(Ana Blandiana 1942年〜)が紹介されていました。そして、その記事の最後に紹介されていた、彼女の詩「詩人の船」の最後の部分の詩に、私は一瞬にして魅了されました。

詩人たちは待っている、眠ることも死ぬことも拒んで
ついに船が岸壁に離れる瞬間を見逃すまいと

決して訪れない出港の時を頑なに待ち続ける
この石の船
これこそ永遠でなくて何だろう?

詩は言葉による、とても鋭利な刃物です。それは専制主義国家や一党独裁の政治体制までも一瞬にして瓦解させる力をも持っています。ただ、ともすれば「個」が簡単に抑圧されやすい、テクノロジーに満ちた現代社会において、「詩」が、どこまで力を持ちえるか、これまで、私は不安を覚えていました。

そんな心配は杞憂だと思わせる、文学の限りない可能性を示してくれる詩に出会うことができ、私は少し嬉しい気分になりました。

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アナ・ブランディアナ女史(Ana Blandiana 1942年〜)


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新年明けましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします [考えている]

新年明けましておめでとうございます。どのような方が私のブログを読んでくださっているのか、想像もつきませんが(汗)、本年も宜しくお願いします。

昨年の12月12日に記事を書いて以来、公私共に色々なことがあり、ブログの更新が叶わない状況になってしまっていました。18日には財閥系の大手商社に勤める彼氏とのデートから帰ってきた次女(26歳、大手百貨店総合職勤務)から、なんと「婚約したよー!」との報告がありました。よく見ると、彼女の左手の薬指には既にカルティエの婚約指輪がはめられています。彼氏とはもう三年ほどの付き合いになるのですが、まあ、いつかはその人と結婚するんだろうなぁとは思っていたものの、流石にこのタイミングだとは思ってはおらず、妻と共に驚いた次第です。

そんな嬉しいニュースを聞く直前、私は16日の金曜日の夜から体調を崩し、微熱がおさまらなかったことから新型コロナの感染も疑い、予め自宅に買っておいた抗原検査キットで検査してみたのですが。結果は陰性。次女が婚約した日曜日の夜には熱もおさまっていたので、予定通り翌日の月曜日、19日から名古屋に一泊二日の出張に行きました。ところが出張先での仕事中に携帯電話に妻から着信があり、今度は妻の体調があまり良くないことを知らされました、妻は念の為、検査センターでPCR検査を受け、その結果は夜には分かるとのこと。私が名古屋で出張先の幹部社員たちとの宴席を終えたころに、再度妻から連絡があり、PCR検査の結果が陽性だったことを知らされました。まさかの妻の新型コロナ感染を知り、呆然とすると共に、(先の抗原検査では陰性だったものの、疑陰性の可能性も否定できないことから)私自身も新型コロナに感染しているかも知れない、もしかしたら(妻を含め)他の方にうつしたのではと疑心暗鬼に陥ってしまいました。

翌日の昼に、(なるべく誰とも濃厚接触しないようにと心がけながら)新幹線で新横浜へ着くやいなや、そのまま検査センターに行き、私もPCR検査を受けたのですが、結果は陰性でした。月曜日から妻は自室での隔離生活に入ったこともあり、この一週間は家事全般を私が担当し、なんとかこなしました。

なんとか25日には妻の隔離生活も終了、その日は私と妻、長女と次女の四人で自宅でささやかなクリスマスパーティーを開きました。そして、まだ体調が万全ではない妻に代わって、年末に向けてひたすら家事をこなし、年賀状を書き、ジャズピアノのレッスンへ行き、老人ホームに入所している義父母に面会したり、義父母の暮らしていた老人向け賃貸マンションの後片付けなどをしながら、なんとか年越しを迎えたという次第です。

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25日の自宅でのクリスマスパーティの時の食事(一部)

そんなバタバタした毎日だったのですが、こうしてなんとか無事にお正月を迎えることができて、ホッとしているところです。今日(2日)は、次女は仕事、妻と長女と初売りセールに出かけ、今は自室に独りで、(前の記事で紹介した)クリストフ・ルセの弾くフランソワ・クープランのクラブサン曲全集を聴きながら、こうしてブログを書いています。

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こちらは元旦の朝の自宅でのおせち料理

今年1月には義父母の暮らしていた老人向け賃貸マンションの返却手続きや、自身の大腸ポリープの切除手術、2月には次女の引っ越し(次女たちはもうすでに新居も決めてしまっています。若い人たちの行動力にはいつも驚かされます)、そして3月には亡き父の法要があったりと、なかなか忙しい日々となりそうです。また、6月には私の勤めている会社での、自身の役員としての任期が一旦終了となります(その後、どうなるのかはまだ全く分かりません)。

なんだか今年も色々ありそうですね。ブログのネタに困ることは当分なさそうです。
(°O゜)☆\(^^;) バキ!


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会社のフロアに設置されている自動販売機について [考えている]

今回は、本来ながらTwitterに投稿するような小ネタなのですが、私はTwitterをやっていないので、こうして自身のブログにあげさせていただきます(汗)。

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写真上で、マウスのカーソルを左クリックすると拡大してみることができます。

この写真は、勤務先の、私がいるフロアに設置されている飲み物の自動販売機なのですが、見れば見るほど不思議な商品ラインアップなのです。コカ・コーラ株式会社の「ドクターペッパー」が二本もあるって、今どき、ちょっと珍しいのではないでしょうか?そして更に謎なのはドクターペッパーの左、上段左側の一番目立つところに、店頭でも滅多にお目にかからない、アサヒ飲料の「ドデカミンストロング」が、同じように二本もディスプレイされています。

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日本コカコーラ株式会社「ドクターペッパー」

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そして、こちらがアサヒ飲料「ドデカミンストロング」

やはり、職場ということで、眠気覚ましの飲み物が多く売られているということなのでしょうか(謎)。同じく上段にはモロキンこと「リアルゴールド」もありますね。

「東京都内、もしかしたら日本国内でも「ドデカミンストロング」と「ドクターペッパー」が並んで、しかも二本ずつ売られている自動販売機はここだけかも?」などと、くだらないことを今日も会社の同僚に話したところです。

ちなみに私は、これまで何回かこの自動販売機で「ドクターペッパー」を買って、飲んでは後悔しています。それでも買ってしまうなんて「ドクターペッパー」の魔力、おそるべしです。

しょうもない小ネタでした。(°O゜)☆\(^^;) バキ!


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しばらくブログの更新を怠っていました [考えている]

前回、8月中旬(19日)に、ブログに記事をアップして以来、一ヵ月近く更新が滞ってしまっていました。理由はただただ、生来の怠け癖によるものなのですが(汗)、数少ないブログの読者の方に心配をかけてしまっていたようです。何とも申し訳ない限りでして(ごめんなさい)、今後、またブログを再開して、少しづつ記事をアップしていきたいと思っています。何卒宜しくお願いいたします。

とはいえ、何か特に記事にするようなことは何も起きていない上、実際、してもおらず、無為にそして怠惰な毎日を過ごしています(ちなみに四回目のコロナワクチン接種は8月23日に受けました)。自室で、インターネット配信サービスのNetflixでアニメ(「キングダム」「異世界おじさん」「盾の勇者の成り上がり」)をだらだらと観たり、韓国ドラマ「ウ・ヨンウ弁護士は天才肌」にハマったり(このドラマは本当に面白かったです)、週に二、三回、夜に会社の仲間たちと宴席を囲んだりといった毎日です。

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「ウ・ヨンウ弁護士は天才肌」の宣伝ポスター。これは2022年6月29日から8月18日までENAチャンネルで放送された大韓民国のテレビドラマでして、天才的な頭脳と自閉スペクトラム症を持つ、大手法律事務所の新人弁護士 ウ・ヨンウ(パク・ウンビン)が様々な事件を解決し、真の弁護士に成長する、ヒューマン法廷ドラマ(この記述はWikipedia「ウ・ヨンウ弁護士は天才肌」の解説を一部語尾を変えた程度で、ほぼ全て引用しています)なのですが、今の韓国ドラマのシナリオ、演技を含め、日本とは段違いと言って良い質の高さには驚かされます。一話70分、全16話という長尺のドラマなのですが、私はまったく飽きることなく、それこそ一気に観ました。元々韓国ドラマが好きな妻も絶賛していました。

そんな中、先週の日曜日(9月11日)には、妻と一緒に国立新美術館で開催されていた二期会の展覧会に行き、展示されていた叔母の油絵を観ました。叔母はこれで9年連続で二期会に選ばれたとのこと。感心することしきりです。久しぶりに妻と二人で東京まで来た私たちは、美術館を出た後、車を停めていた東京ミッドタウンまで戻り「虎屋菓寮 東京ミッドタウン店」でかき氷を頂きました。かき氷を食べるのは本当に久しぶりです。前回食べたのは多分10年以上前になるかもしれません。今回、私は宇治氷に練乳をトッピングして食べたのですが、なんとも懐かしく(特に練乳)、そして美味しかったです。

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こちらが今年の叔母様が出品した油絵。私は素人なので、この絵が何号なのかは分かりませんが、とても大きな絵です。

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そしてこちらが、私たちが頂いたかき氷、手前が私が頼んだ宇治氷の練乳トッピング、奥に写っているのは妻が頼んだ宇治金時(彼女はいつも宇治金時を食べます)です

そして今日の夜は、高校時代、特に仲の良かった友人二人と東京、新橋の九州料理屋で旧交を温める予定です。私自身、歳をとり体力も無くなり、最近では調子に乗ってお酒を飲むと、翌日は何もできず、ぐったりしてしまうという情けなさですが、それでも久しぶりの再会に心躍らせているところです。


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自宅の薔薇がきれいな花を咲かせました [考えている]

妻が自宅のエントランス脇の小さな花壇に植えた薔薇が花を咲かせてくれました。エントランスは道路に面しており、その道は近くの小学校の通学路になっていて、毎朝、八時近くになると、多くの小学生達が通ります。また、近所の方も良く通られることもあってから、妻はこの小さな花壇の手入れをこまめに行なっています(ちなみに水やりは私…トホホッ)。この薔薇も最近、妻が植えたものですが、今頃になって花を咲かせてくれました。

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自宅のエントランス脇の小さな花壇

薔薇は美しい花です。先日、九州、大分の母が住む実家に帰ったときも、母は裏庭に親戚からもらった薔薇を植えていて、その薔薇も大きな花を咲かせていました。

この薔薇は、それほど大きなものではありませんが、それでもこんなに花を咲かせてくれるのですね。なんだかとても嬉しくなりました。

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小さいながらも多くの花を咲かせてくれました。

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中でも一番てっぺんで咲いている大きな花のアップ。この日は雨露をうけて、ひときわ美しく咲いていました。

私も歳をとるにつれて、草花を美しいと思うことが多くなりました。どんどん頭はボケてきて、なんとも情けない思いをすることが多くなりましたが(汗)、歳を取ることも、そんなに悪くもないのかなあと、ふと思った次第です。


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入院していた病院から退院した元同僚の女性を囲んで食事会をしました [考えている]

先週の土曜日の夜、病院から退院した元同僚(女性)を囲んで、ささやかな食事会をしました。彼女は現在48歳、1998年から2006年、そして2018年から2019年までの、のべ8年11か月もの長い間、私の同僚、部下として一緒に仕事をし、そして(数えきれないほど)何回となく一緒にお酒を飲んだ仲間です。40代半ばで癌におかされ、一旦は快方に向かったものの再発し、何度も入退院を繰り返しながら闘病生活を送ってきました。

このコロナ禍の中、入院している限りは家族との面会もままならない上、これ以上、病院の方で行える治療も無くなったとのことで、先週の金曜日に退院、翌日の土曜日に彼女と親しい仲間たち五人と、こうして食事会を開いてくれました。お店は彼女が常連だった目黒のこじんまりしたイタリア料理店で、長い階段の途中にあります。車椅子から降りた彼女は、夫に支えられながら階段を下り、お店に到着しました。

これまでLINEを使って連絡を取り合ってはいたものの、実際に会うのは本当に久しぶりです。彼女は少し痩せたように感じられた(元々本当に細いのです)ものの、以前と変わらない笑顔で、お店が用意してくれた前菜やパスタを口にしています。私は、最初、どう接してよいか分からなかったのですが、いつも通りの接し方で過ごそうと思い直し、初めてお会いした彼女の夫と挨拶を交わすと、お互いの近況を報告しあったり、思い出話に花を咲かせながら30分ほどの短い時間はありましたが、途中、(彼女がこれまでの自らの病状の推移を説明してくれた時には)堪えきれずに泣いたりしてしまいながらも、一緒に楽しく過ごしました。

彼女は会社にいたころ(彼女はとても優秀かつ事務処理能力の高い女性でした)から、次の人生を見据えて勉強をし(働きながら大学院で学び、経営学修士の学位を取得)、キャリアコンサルタントや中小企業診断士、さらには社労士までもの資格を取り、退職後は自らコンサルティング会社を起業したりと、本当に真摯に自身の人生に向かい合っていました。そんな彼女が、何故、こんな目にあわなければならないのか、一体、誰にその怒りをぶつければよいのか、そして彼女自身が一番感じている悔しさを思うと、何ともやり切れない思いに囚われてしまいます。彼女との30分の最後の晩餐はそれこそ、まるで夢のような、奇跡ともいえる時間でしたが、それも彼女の命をかけた、必死の頑張りで、こうして実現したものなのです。この日の彼女は余りにも美し過ぎました。癌によって、自身の防御機能をほぼ破壊されてしまった彼女ですが、逆にそのせいで彼女の「命」そのものがむき出しになっていて、その狂おしいほどの輝きが私にははっきりと、そしてひときわ眩しく見えてしまうのです。それは生まれたばかりの赤ちゃんの、命そのものの姿と全く変わらない輝きで私を打ちのめしました。

彼女と夫が先に帰り、その姿が見えなくなるまで見送った後、残された私たちはお店が用意してくれた料理を頂きながら(お店のマスターと従業員の方も号泣されていました)、彼女との思い出を語り合いました。それは、まるでいつもの会社の内輪の宴席のようでしたが、どこか頭の一部が麻痺してしまったような感覚を皆が覚えていたかと思います。ワインを痛飲し、べろべろになって帰宅すると、妻が心配して待っていてくれました。私はこの日に起きたことを妻に伝えた後、泥のように眠りました。

翌日の日曜日、心配した妻が私を花見に連れ出してくれたのですが、いつも、その美しさに心奪われる桜の花が、その日に限っては何とも味気なく、空々しいものに感じられてしかたがなかったです。そして、この土曜日の会食以降、私は頭のどこかで常に彼女のことを考えています。いや「考えている」といった論理的なものではなく、ぼんやりと思っているというか、どこか心ここにあらずといった感じというのが正確かと思います。なぜ、彼女がこんな目にあわなければならないのか、私には全く分かりません。多分、この問いそのものが、究極的には意味のないものなのでしょう。そして、あの時、私が見た彼女の「命」の恐ろしくピュアな輝きは、私の心の中に自分でもそれが何だか説明できない刻印を遺すと共に、私の心の一部を麻痺させてしまった、そんな気分に囚われています。

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翌日の日曜日、横浜の三ッ池公園で妻と一緒に見た桜の花。ソメイヨシノが満開に咲き誇っていました。

彼女は今週の水曜日にホスピスに入所しました。多分、もう会えないかと思います。そして私は、ラインでの彼女からの連絡をただただ待ち続けています。

(2022年4月4日追記)
昨日、彼女から連絡があり、ホスピスに来て落ち着き、ようやく食べれるようになってきたとのこと。残念ながら面会は10人までの事前登録制で(彼女の)家族親族で一杯になってしまっていて、私が面会することは叶いませんが、彼女が心と体の平安を得て、ゆっくり、のんびりと暮らしてくれることを祈るばかりです。

(2022年4月18日追記)
4月14日未明に彼女が亡くなったとの連絡を受けました。享年48歳。若すぎます。彼女がホスピスに入った後に、一人の会社の同僚(女性)がお見舞いに行く機会を得たのですが、その時に彼女は「元気だったらこんな事業をしたかったんだ」と明るい声で楽しそうに同僚に話してくれたそうです。余りにも可哀想すぎます。今はただただ彼女の死を悼む毎日です。21日に通夜、そして翌22日に告別式とのことで、私はどちらも参列するつもりです。


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