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東京国立近代美術館の「パウル・クレー展-終わらないアトリエ」を観に行きました [絵画を鑑賞している]

昨日、家族と東京国立近代美術館の企画展示「パウル・クレー展-終わらないアトリエ」(PAUL KLEE: Art in the Making 1883-1940)を観に行きました。パウル・クレーは私の大好きな画家の一人でして、このブログのトップページにも彼の晩年の作品である「忘れっぽい天使」 を飾らせて頂いています。今回のこの美術展を訪れた目的は次女の夏休みの課題(美術館に行って、感想文を書く)に応えるためだったのですが、私自身、期待に胸をふくらませて東京メトロ竹橋駅から東京国立近代美術館へと向かいました。
展覧会は、

1:現在/進行形 - アトリエの中の作品たち
2:プロセス1 写して/塗って/写して - 油彩転写の作品
3:プロセス2 切って/回して/貼って - 切断・再構成の作品
4:プロセス3 切って/分けて/貼って - 切断・分離の作品
5:プロセス4 おもて/うら/おもて - 両面の作品
6:過去/進行形 - 特別クラスの作品たち

から構成されてまして、約170点の作品(水彩やペン画が多く、思ったよりも油彩の本格的な作品は少ない)が展示されていました。油彩転写と”特別クラス”の作品には見ごたえのある作品が多かったような気がします。そして展覧会の狙いであった、クレーの、制作にあたっての実験、手法の開発の具体的な実例を観ることができ、とても興味深かったです。
こうした作品を観ながら、この日、私が考えていたのは「クレーの作品には『音楽性』を感じるが、ここで感じている『音楽性』という意味は、具体的には一体どのようなものなのか」ということでした。感覚的な物言いで恐縮ですが、クレーの色の重ね方は、単音を重ねて和音としているのに似ています。色彩を重ねることで、物語性が強調されると共に、作品に深い陰影が備わっていきます。そしてその色使いはとても繊細で、ある意味、調性に従ったものであるように感じられます。そして、クレーの書く線は、それぞれが旋律を奏でているような、その線自体が意味を持ったものです。そしてその線がそれぞれに和声を構成しているような、そんな密やかな息づかいすら感じることができます。その結果、クレーの作品は「ゆらぎ」による多様性を獲得しているのではないだろうか。
私はクレーの作品を観ながら、そんなことをつらつらと考えていました。

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《襲われた場所》 1922, 109 ペン・鉛筆・水彩・紙・厚紙、30.7×23.1cm、 パウル・クレー・センター(ベルン)

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《山のカーニヴァル》 1924, 114 水彩・紙・厚紙、24.0×31.3cm、 パウル・クレー・センター(ベルン)

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《花ひらいて》1934, 199  油彩・カンバス、81.5×80.0cm、 ヴィンタートゥーア美術館蔵。この作品は東京国立近代美術館の所蔵する《花ひらく木》1925, 119 油彩・厚紙、39.3×39.1cmを90度回転し、その上で2倍に拡大したものです。

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