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再び、尾形亀之助について [本を読んでいる]

以前、詩人の尾形亀之助の事を紹介しました(http://syoso-chunen.blog.so-net.ne.jp/2009-12-08)が、あの記事を書いた後、私は、彼の詩の表層的な一面だけを書いてしまったのではないかという危惧を抱き続けていました。
尾形亀之助は、意志を持って「無為の人」であり続けようとした人であることも指摘しておかなくてはなりません。彼の詩(と人生)は、とても「戦略的」で、「暴力的」かつ「アナーキー」な一面も持っています。その点について、思潮社の「尾形亀之助詩集」の中で鈴木志郎康氏が見事な「解説」をしています。機会があれば是非、一度読んでみて下さい。
私は本当のところ、彼の詩の「暴力性」に、惹かれ続けていたのではないか、今は、そういう気がしてならないのです。


過去は首のない立像だ

或る年
ていねいに
恋は 青草ののびた土手に埋められた

それからは
毎年そこへ萠へ[#「へ」に「ママ」注記]出づる毒草があるのです

青い四月の空の下に
南風がそこの土手を通るときゆらゆらゆれながら
人を喰ふやうな形をして咲いてゐる花がそれなのです

~詩集「色ガラスの街」より「四月の原に私は来てゐる」~