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木田元の「反哲学入門」を読み終えました [本を読んでいる]

今朝、通勤電車の中で木田元の「反哲学入門」を読み終えました。彼の著作を読むのは、これで確か二冊目(最初に読んだのは「木田元の最終講義 反哲学としての哲学 (角川ソフィア文庫) 」)となります。どちらの著作にも共通して言えることなのですが、とても読みやすく、大変気持ちの良い知的興奮を味わう事ができました。
彼の文章は、彼の言いたいことと実際の言葉の使い方、それぞれの対応が、過不足無く実に見事で、読んでいて、とても読み易く、書いていることが頭にすんなり入ってくる(ような気がしているだけかもしれませんが…)ような気がします。内容は、

「形而上学」「私は考える、ゆえに私は存在する」「超越論的主観性」―。哲学のこんな用語を見せられると、われわれは初めから、とても理解できそうにもないと諦めてしまう。だが本書は、プラトンに始まる西洋哲学の流れと、それを断ち切ることによって出現してきたニーチェ以降の反哲学の動きを区別し、その本領を平明に解き明かしてみせる。現代の思想状況をも俯瞰した名著。(「BOOK」データベースからの紹介文の引用)

といったもので、プラトン以前から、プラトン、アリストテレス、デカルト、カント、ニーチェ、ヘーゲルに至る、西洋哲学史をといったものなのですが、ニーチェ以前と以後において、考え方、立ち位置そのものの大変換が起き、まったくその様相が変わっていることを分かりやすく解説しています。読んでいて、木田元が考えに考え抜いた、そのエッセンスというか、上澄みだけを味わっているような気がして、何か申し訳ないような、そんな気持ちになりました。
高校2年生の時に、ふとしたきっかけで読んだ西田幾多郎の「善の研究」以来、私は時々哲学(入門)書を読んできました。哲学のテーマである、世界(人間、精神、自然、物質、時間)の在り様といったものをどのように捉えるかという問題に対して、多くの哲学者が考察してきたわけですが、その回答は、現在、そしてこれからの未来と密接に絡み合い、そして、ばあいによっては過去・現在・未来そのものを大きく変えるものだと思います。そのことがなんとなく、分かっているからこそ、私は、折を見て、こうした哲学(入門)書や思想書を読むのでしょう。また、機会があったらこうした本をまた読んでみたいと思います。
つい最近まで日本経済新聞に掲載された木田元さんの「私の履歴書」は、彼の波乱万丈の遍歴が語られていて、本当に面白かったですね。またそこに載せられた青年時代の木田元さんの美男子ぶりには本当にびっくりしました。そういったこともあり、今回、彼の著作を読んだ次第です。面白かったです。

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写真は木田元「反哲学入門」(新潮文庫)

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