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村上春樹・小澤征爾共著「小澤征爾さんと、音楽について話をする」を読み終えました [本を読んでいる]

飯田隆著「言語哲学大全 Ⅱ」を読みかけにしたまま、先週まで、図書館から借りた志賀浩二著「集合への30講」を読んでいたのですが、どうしても村上春樹と小澤征爾の共著(実際の文章はあとがきを除いて全て村上春樹氏が書いています)である「小澤征爾さんと、音楽について話をする」が読みたくなり、先週末に購入、今日、通勤電車の中で読み終えました。
内容は、

「指揮者はタクトを振るように語り、小説家は心の響きを聴くように書きとめる――。 「俺これまで、こういう話をきちんとしたことなかったねえ」。ベートーヴェン・ピアノ協奏曲第三番、復活のカーネギー・ホール、六〇年代の軌跡、そして次代の演奏家達へ。「良き音楽」を求め耳を澄ませる小説家に、マエストロは率直に自らの言葉を語った――。東京・ハワイ・スイスで、村上春樹が問い、書き起こした、一年に及ぶロング・インタビュー。」(Amazon「内容紹介」からの引用)

といったもので、演奏を聴く立場(村上氏)からの、演奏するといったことは一体どのようなものなのか、音楽を創り上げていく上で何が大切なのか、といった素直な疑問に対し、小沢さんは一見、ざっくばらんに、しかし丁寧に答えていきます。
私は、実は小沢征爾さんの演奏は、一度も直接聴いたことはありませんし、LPやCDも、これまであまり、というか殆ど聴いていません。記憶に残っているのは、大学時代に聴いたグラムフォンに入れたボストン響とのマーラーの「巨人」くらい(あと、CBSの録音でアイザック・スターンのメンデルスゾーンのバイオリンコンチェルトのバックを小沢氏が演奏していたことを覚えています)です。そもそも演奏会に行く、時間的、経済的な余裕もない(泣)上、自宅の再生装置が貧弱なこともあり、あまり交響曲を聴かないといったことも関係しているのでしょうが、それ以上に、そんなに聴いたこともないくせに、小沢征爾さんの演奏スタイルみたいなものを勝手に決めつけてきたようなところがあります。(これって本当にいい迷惑ですよね)
今回、こうして小沢氏のロングインタビューを読んでいて、そうした自身のいい加減さを恥じると共に、音楽を創り上げていくということが、一体どういうことなのか、その創造の秘密の一端に触れることができたような気がします。最後の「スイスの小さな町で」とそれに続くインタビューでは、そうしたまさしく音楽が生まれる瞬間に立ち会った、村上氏の聴き手の立場からの印象、そして音楽を作る立場である小沢氏からの率直な考えが非常に明晰に読み取ることができて、感銘を受けました。
あと、興味深かったのは第四回のインタビュー「グスタフ・マーラーの音楽をめぐって」です。ここでは、マーラーの演奏スタイルの変遷等を語りながら、マーラーの音楽が一体どのようなものであるか、二人の対話を通じて、わかりやすく解説されていきます。私が唯一、きちんと聴いたと思われる、グラムフォンに入れたボストン響とのマーラーの「巨人」の演奏でも、小沢氏は風通し良く、内部構成をきちんと明らかにしながら、知的に音楽をまとめ上げられていたとの印象を持っていますが、その後、こうした演奏スタイルがクラシック演奏のスタンダードになっていったことは、この録音以降の数多の演奏の歴史が証明しています。そういう意味で小澤征爾氏がこれまでやってきたことの偉大さみたいなものは、今回のインタビューを読んでみて確認することができました。
私はクラシック音楽をこれまで、ある程度聴いてきたので、この本を楽しく読むことができたのですが、クラシック音楽を聴かない人はこの本を読んでどう感じるのだろう?と興味を覚えました。というか、まず読まないのかな?でもベストセラーになっているようですし、是非、そうした人の感想を聴いてみたいものです。
小沢さんの一番最近の録音であるサイトウキネンとのブラームスの1番のカーネギーホールでのライブ演奏も含め、ある程度まとめてこれから聴いてみようと思った次第です。

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写真は村上春樹と小澤征爾の共著「小澤征爾さんと、音楽について話をする」(新潮社)

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