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ミシェル・ウェルベックの「服従」を読み終えました [本を読んでいる]

昨夜、行きつけの蒲田のジャズ喫茶店でミシェル・ウェルベック((Michel Houellebecq 1958年~)の「服従」(Soumission, 2015)を読み終えました。

私が小説を読んだのは、昨年2月にブライアン・エヴンソン(Brian Evenson 1966年~)の「遁走状態」を読了して以来となります。元々、小説を読むのは好きなのですが、私の場合、時々、こうして長い間、小説に読まないことがあります。一昨年の冬にプルーストの「失われた時を求めて」全巻読破に挑戦しながら、少ない私の自由時間を英語の勉強にあてようと、一旦読書を中断、その上、英語の勉強までもがおろそかになってしまい、結局、無為な時間を費やしてしまっいました。2015年は私にとって、小説をほとんど読まなかった恥ずべき一年ということになります。今年は、また少しずつ小説を読むのを再開しようと決意を新たにしているところです。

さて、今回読了したミシェル・ウェルベックの最新作「服従」ですが、ちょうどフランスで発表されたのがシャルリー・エブド襲撃事件と同じ日で、その上、この小説の内容が2022年にムスリムがマリーヌ・ル・ペンを破ってフランス大統領となる」(以上、wikipedia「ミシェル・ウェルベック」の解説からの引用)ということもあって、かなりセンセーショナルな受け止め方をされたようです。実は私は、こうした事情を読了後に知りました。その点では、何の与件もなく本書を読むことができたのは良かったと思っています。

「服従」では、これまでの彼の著作のメインテーマである「知性」と、セックスに代表される生物としての生への衝動的な欲望との相克(ウェルベックの場合、常に知性はこれらの欲望の前に不能となり、人格の曲折、破壊を余儀なくされる訳ですが)に加え、政治、宗教といった体制(連合体)に対する「知性」の隷従が、一大学教授の行動を通じて、恥辱的に語られています。

かなりフランスの政治状況等に詳しくないと、深い理解を得るのは難しいのですが、多くの注釈の助けを借りながら、なんとか読み通すことができました。相変わらずのウェルベック節だったものの、少し、話の内容が浅く、物足りなかったなあというのが率直な感想(これが軽薄な知性を嗤うウェルベックの、この小説における真の策略だとしたら、私はまんまと乗せられていることになります)です。とはいえ、やはりこの作家からは目が離せませんね。ただ、もし、初めてミシェル・ウェルベックを読もうという方には本書はあまりお勧めできないです。やはり「素粒子」「ある島の可能性」といった作品の圧倒的なパワーを味わってから、本書を読んだ方がウェルベックの言わんとしていることが分かりやすいのではと思います。

これからもウェルベックの作品を私は読むことになるのでしょう。彼の次回作に期待したいと思います。

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ミシェル・ウェルベック 「服従」(河出書房新社)。佐藤優氏の解説は私には残念ながらピンとはきませんでした。もっと本書を「文学」としてどう捉えるのか、そういった見地からの専門家の解説を読みたかったです。


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