SSブログ

平松洋子著「旬の味、だしの味」を読み終えました [本を読んでいる]

昨日、平松洋子著「旬の味、だしの味」を読み終えました。この本は、今はなき、虎ノ門の関西割烹「つる壽」の店主、柿澤津八百氏(故人、父は人間国宝の邦楽家、清元志寿太夫氏)が日本料理について語った内容を、料理ジャーナリストの平松洋子さんが聞き纏めた本です。先日、新聞で、とある料理評論家の方がとても参考になった本として紹介している記事を読み、さっそく、図書館から借りてみたという訳です。
この本は、日本料理、そしてそれに携わる職人に対する、柿澤津八百氏の非常に高い見識と素晴らしい人柄を知ることができる良書です。店で出す日本料理の真髄を「料理屋の料理は、家庭料理から半歩出よ」とした上で、職人が日本料理に「手間暇をかける」ということはどういうことかを、さらりと、しかし奥深いところまで語ってくれています。

「箸というものは同じところに三べんはいくけど、四へんめはいかなくなっちゃうんだ。そういうことを頭に入れていないと、全体の印象があか抜けない。田舎っぽくなっちゃうんです」(「定食」)
「かつおぶしをかくところから椀に盛るまで、一瞬たりとも気が抜けません」
「お椀はつくづくむつかしい」(「お椀」)
「仕事に向かう姿勢がまるきり露呈する。だから料理人にとっては非常にこわいのです」
(「お向こう」)
「つるり、ひんやり、涼しげに。季節に寄り添っていくのが日本料理の本質だと思うのです」
(「夏の料理」)
「魚を上手に焼くには、五官を鋭く働かさなくてはいけません」(「魚を焼く」)
「盛り合わせの基本は台になるもの、添えるもの、青み-この三種類です」(「煮物」)
「そもそも包丁は、腰でリズムを取りながら使うもの。肩ひじ怒らせていれば、どこかに余計な力が入り過ぎている。その意味でも、高下駄の歯がきれいに減り始めれば、まずは及第点なのです」(「私の料理道具」)

私はこの本を読みながら、常に義父のことを考えていました。義父は「なだ万」で修業した後、東京赤坂で40年以上、関西割烹のお店を営んでいました。今でも義父の様々な料理(特に「お椀」「すっぽんの雑炊」「おせち料理」と、泊った次の日の朝、なにげなく用意してくれた、鮭の塩焼きをメインにした和朝食の思い出は私にとって、とても貴重なものです。一時期、義父母と同居した時に、義父に晩御飯を何回かお願いしたことがあるのですが、(私がびっくりするくらい)非常に長い時間をかけて作ってくれたことがとても印象に残っています。その時は、「とても美味しいけど、プロなのに、なんでこんなに時間がかかるのだろう?」などと思っていたのですが、まさしく、本当に丁寧に、手間暇をかけて作ってくれていたんだということに、この本を読んでから、やっと気づきました。(どうしようもない義理の息子で、本当に申し訳ありません)
料理の道も、本当に奥深いものですね。この本を読んで、「極める」ということはどういうことなのか、その一端を知ることができました。そういう意味では、私なんぞは、まだまだ、本当に小僧のはしくれです。勉強が足りません。
こんな素晴らしい本に出会うことができ、本当に感謝しています。ありがとうございました。

images (1).jpg
写真は平松洋子著「旬の味、だしの味」(新潮社)。本には柿澤津八百氏の写真もそえられているのですが、少し神経質そうなところなど、雰囲気や感じが、同じ料理人であった義父と似ているように思えました。


共通テーマ:日記・雑感