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久しぶりにブルックナーの交響曲を聴きました [音楽を聴いている]

この週末の三連休、私を除く家族がそれぞれ、コンサートに出かけたり、友達の家に泊まりに行ったりといった用事を抱え、外出する中、私は何も予定がなく、車で最寄りの駅まで家族を送り迎えをしたり、車を修理のためサービスセンターに持っていったり、家の掃除や庭の手入れ、洗濯や料理といった雑事に追われながらも、比較的一人で自由に過ごすことができました。
連休2日目となる日曜日の夕方は、前に家内からプレゼントされたカレーのレシピブックを見て、一人、台所で欧風ビーフ・カレー作りに挑戦しながら、久しぶりにチェリビダッケ(Sergiu Celibidache 1912~1996年)の指揮するミュンヘンフィルの演奏によるブルックナーの交響曲第八番を聴きました。

私は普段は交響曲は聴きません。どちらかというと独奏曲、室内楽曲が中心です。好みの問題もあるのですが、時間的な理由も大きいです。日常において小一時間以上、続けてゆっくりと音楽を聴くことができる機会は殆どないのが実情です。今回は珍しく、こうした時間が取れたので、せっかくだからと、じゃあ、どうせなら滅多に普段聴かない音楽をということで聴いてみました。

チェリビダッケの指揮するブルックナーの八番というと、有名なリスボンライブ(私は未聴)を始め、数多くの録音が遺されています。私が今回聴いたのはMETEOR盤(MCD-036-037)で、85年のヘラクレス・ザールでのライブ録音です。極端に遅いテンポで、緻密さの限りがつくされた、広大な音楽を構築するのが晩年の彼の演奏の特徴でもありますが、この演奏はそこまで極端ではないものの、それでも悠然としたテンポの中、見事に音楽が展開されていきます。ここまでくると好き嫌いをも超越しているような気がします。(苦笑) 久しぶりに交響曲の豊かな響きを堪能することができました。

チェリビダッケに関しては、私には懐かしい思い出があります。私は1991年から1997年までドイツ、デュッセルドルフに赴任していたのですが、チェリビダッケが亡くなった1996年の8月、急遽パリのルーブル美術館の視聴覚ルームにおいて、二日間に亘って、美術館が所有するチェリビダッケの録画映像を上映する催しが行われることとなり、当時のパソコン通信仲間(ニフティサーブの「旅先通信フォーラム」)のなかでも、特にブルックナーが好きな故・辻バードさんを始めとする何名かの方がパリを訪れ、私を含めたヨーロッパ駐在組の有志と一緒に、このフィルムコンサートを鑑賞することとなりました。ベルリンフィル、イタリアトリノ響における颯爽とした指揮ぶりが見事な、モーツァルトやメンデルスゾーンを始めとするチェリビダッケの青年期の演奏、これらの時代を感じさせる多くのモノクローム映像から、晩年のミュンヘンフィルでのブルックナー演奏の美しいカラー映像まで、フィルムコンサートはのべ20時間近くもの間、薄暗い部屋で延々と行われました。さずがに2日目の夕方近くになると、こちらも(前日夜の宴席のせいもあり)疲れてきて、少し意識も朦朧とする中、あの長大なブルックナーの演奏が続くという、まるで拷問のような(苦笑)催しでしたが、こうしてチェリビダッケという指揮者の演奏、考えてきたことを丁寧に追体験することで、(明確に言葉にすることは出来ないものの)自分なりに得たものは大きかったような気がします。

私にとって、ブルックナーはまさに「夢」の音楽です。今回、久々の1時間半ほどのブルックナーでしたが、私にとってはとても興味深い体験となりました。次回、ブルックナーを聴くのはいつだろう? それは実は、そんなに遠い先の事ではないような気がします。

チェリビダッケ.jpg
写真はセルジュ・チェリビダッケ。この週末、チェリビダッケを聴いたのは、このパリ、ルーブルでのフィルムコンサート以来、なんと17年ぶりとなります。それほどインターバルがあるにも関わらず、今回、一聴しただけで私はこれがチェリビダッケの音だと分かりました。私の耳に、あの時、ルーブル美術館で聴いた音はしっかり焼き付けられているようです。

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