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呉明益著「歩道橋の魔術師」を読み終えました [本を読んでいる]

今日のお昼休みに、会社の執務室で呉明益著「歩道橋の魔術師」(原題「天橋上的魔術師」)を読み終えました。この本は、毎週日曜日(10:00~10:30)にFM TOKYOで放送されている、私の好きな作家の小川洋子さんが文学作品の名作の解説を通じて、作品の素晴らしさ、文学の楽しみ方を伝える番組である「Panasonic Melodious Library」で、本作を紹介・解説しているのを聴いて興味を持ち、早速、図書館から借りてきたものです。本作は

1979年、台北。西門町と台北駅の間、幹線道路にそって壁のように立ち並ぶ「中華商場」。物売りが立つ商場の歩道橋には、子供たちに不思議なマジックを披露する「魔術師」がいた――。現代台湾文学を牽引し、国外での評価も高まりつつある、今もっとも旬な若手による連作短篇集。現在の「ぼく」「わたし」がふとしたきっかけで旧友と出会い、「中華商場」で育った幼年期を思い出し、語り合ううち、「魔術師」をめぐる記憶が次第に甦る。歩道橋で靴を売っていた少年、親と喧嘩して商場から3か月姿を消した少年、石獅子に呪われ、火事となった家で唯一生き残った少女と鍵屋の息子の初恋……。人生と現実のはざまで、商場の子供たちは逃げ場所やよりどころを魔術師に求める。彼はその謎めいた「魔術」で、子供たちに不思議な出来事を体験させることになる。日本の読者には「昭和」を思い出させるような台湾らしい生活感と懐かしさが全篇に漂う。語り手の静かな回想が呼び込む、リアルな日常と地続きで起こる幻想的な出来事。精緻な描写力と構成によって、子供時代のささやかなエピソードがノスタルジックな寓話に変わる瞬間を描く、9つのストーリー。(以上、Amazonにおける本作の「出版社からのコメント」からの引用)

といったものです。訳者あとがきの中で、天野健太郎氏は、

ひとりの読み手として今、感じるのは、本書に登場して魔術師を語る商場の子供たちにはみな、ふたつの時間に気づいてしまったのではないかということだ。(中略)あのとき魔術師は、現実世界を生きる自分と、もうひとつの時間を生きる自分の両方をきせれくれたのではなかったか?そして回想のなか魔術師は、あのとき切り分けられたふたつの時間を、もう一度つないでみせてくれたのではないか?生き残った彼らは、実際に生きた時間を胸に、マジックの時間の中にとどまっていた魂と一瞬ふれあう。(以上、本書「訳者あとがき」からの引用)

との見事な解説を行っています。私自身はこの小説について、人は皆、大人になった時に、子供時代には当たり前であった、とても大切な何かを失っていて、ふつうは、その失ったものに気づくことはないのですが、(この小説の登場人物である)魔術師は大人になった時に失うであろうものを、予め子供に見せ、(それを見た子供は)無意識下ではあるものの、ある「選択」をしていたというお話だと感じました。この小説は「喪失」の物語なのです。

ノスタルジックだと評されているようですが、私は本作を、極めて現代的な小説だと思いました。著者の呉明益は1971年、台湾・台北生まれで現在、国立東華大学中国文学部教授。天野氏によれば本書と同年(2011年)に出された「複眼人」も素晴らしく、英語版は(本作と同様)好評とのことなので、今後、邦訳が出れば、是非読んでみたいと思います。私にとっては久しぶりの小説でしたが、充実した読書体験を得る事ができました。さすが、小川洋子さん推薦の本に、はずれはありませんね。

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呉明益著「歩道橋の魔術師」(白水社)


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