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小川洋子の「小箱」を読み終えました [本を読んでいる]

今朝、会社に向かう通勤電車の中で小川洋子(おがわ ようこ 1962年~)の小説「小箱」を読み終えました。この小説は前作、2012年に発表された「ことり」から、7年ぶりの最新作となるものです。実は、私が小説を読むのは久しぶりでして、昨年11月に小野不由美の「白銀の墟 玄の月」、先に述べた小川洋子の「ことり」を読んで以来、四か月ぶりとなります。私の大好きな作家の最新作ということで、読むのをとても楽しみにしていました。

死んだ子どもたちの魂は、小箱の中で成長している。死者が運んでくれる幸せ。世の淵で、冥福を祈る「おくりびと」を静謐に愛おしく描く傑作。
私の住む家は元幼稚園で、何もかもが小ぶりにできている。講堂、給食室、保健室、人々の気持ちを慰める“安寧のための筆記室"もある。私は郷土史資料館の学芸員であったバリトンさんの恋人から来る小さな文字の手紙を解読している。従姉は息子を亡くしてから自分の人生を縮小した。講堂にはガラスの小箱があり、亡くなった子どもたちの魂が成長している。大人は自分の小さな子どもに会いに来て、冥福を祈るのだ。“一人一人の音楽会"では密やかな音楽が奏でられる。
今日はいよいよあの子の結婚式で、元美容師さん、バリトンさん、クリーニング店の奥さん、虫歯屋さんが招待されている。(以上、Amazonの「内容紹介」からの引用)

といった内容で、子供が亡くなり、そして産まれなくなってしまい、次第に滅びていく世界(社会)の中で、残された人々(大人)が、今は亡き、愛しい子供を思い偲び、そして悼みながら死者と共に生きようとする姿が全編に亘って、小川洋子の静謐で美しいタッチで描写されるという、特異な世界観に満ちた小説となっています。

これは作者の優しい眼差しは感じられるものの、とても厳しく、そしてある意味、救いのない小説です。「救いのない」と書きましたが、小説の登場人物達はそうした状況の中で、自ら、色々なやり方で「死者」と交流し、そして慰めと生きがいを得ています。そしてそのような中で、遠くの病院に入院しているバリトンさんの恋人からの手紙を解読し、清書する主人公とバリトンさんとの静かな心の交流が描かれています。

とても厳しく、切ないながらも、何とも美しい物語です。私は久しぶりに小説を読み、その世界に没入することができました。「良かったです」と一言では、なかなか片付けられるものではありませんが、いつまでの心に深く残る物語だと感じました。

巻末に、この小説の参考文献として「ローベルト・ヴァルザー作品集1~5」が挙げられていました。あっ、これで繋がりました。私は以前、この作家の作品を集めた「ヴァルザーの詩と小品」を読んでいたのです。「こんなところで、また、この作家と繋がるなんて…」と我ながら驚いた次第です(私が以前、「ヴァルザーの詩と小品」を読了した時に書いた記事はこちら→https://syoso-chunen.blog.ss-blog.jp/2017-06-16。「小箱」の中で、ヴァルザーの作品がどのように使われていたのか、私は(残念ながら)気づきもせず読了してしまったですが(微小な文字で執筆したという作家ローベルト・ヴァルザーのことが、バリトンさんに微小な文字で手紙を書き続けた恋人の人物設定において、小川洋子氏にインスピレーションを与えたということのようです)、この孤独で、無垢な魂を持ったスイスの作家との不思議な縁を感じました。

この本を読了し、今はとても静かな気持ちです。かけがえのない読書体験を得ることが出来ました。ありがとうございました。

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小川洋子「小箱」(朝日新聞出版)


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