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「殿山泰司ベストエッセイ」を読みました [本を読んでいる]

先ほど、会社の執務室で「殿山泰司ベストエッセイ」(ちくま文庫)を読み終えました。前に横浜伊勢佐木町の古本屋で殿山泰司著「日本女地図」を買って、40年かそこらぶりに再読したことを書きましたが(その時の記事はこちら→https://syoso-chunen.blog.ss-blog.jp/2022-02-17、他の彼の著作を読んでみたいと思い、こうして図書館から借りてきたのです。

銀幕やテレビで一度目にしたら忘れられない眼光鋭い禿げ親父。日本映画史に輝く名バイプレイヤー殿山泰司は、名エッセイストとしても知られている。国家も戦争も蹴っとばせ。あなあきい魂全開だ!酒とジャズとミステリを、そして何より自由を愛し、サングラスとジーンズで街を闊歩した「三文役者」の精髄を集めた決定版。(以上、Amazon「商品の説明」からの引用です)

殿山泰司(とのやま たいじ 1915~1989年)は「兵庫県神戸市出身。中央区立泰明小学校、東京府立第三商業学校卒業。終戦後の日本映画界において独特の風貌で名脇役として活躍した。ジャズとミステリーをこよなく愛し、趣味を綴った著書も多数残している。また、波乱万丈なその人生は、映画化もされている」(以上、こちらは「Wikipedia」からの引用です)人でして、関東風おでんの老舗名店「お多幸」の創業者の息子(彼自身は店を継ぎませんでした)としても知られています。私のような中高年の方ならばテレビや映画で、その姿を一度は見た覚えがあるかと思います。ほんと、かなり偏屈でくせの強そうな感じがしながらも、一度笑うと、その素敵な笑顔に思わず引き込まれてしまう、そんな、名脇役で知られた俳優であり、エッセイストです。

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在りし日の殿山泰司氏

私は、今回、初めて彼のエッセイを纏めて読みました。悪く言えばクソジジイの遠吠えのような文章なのですが、何といえばよいか、その語り口の軽妙さにとても魅力を感じました。「昭和には、こういう人って、いたよなー」とつい、自身が感傷にふけってしまいそうになります。正直、なんだかとても羨ましいと思いました。読んでいると何故か勇気が湧いてきます。どのエッセイも、素晴らしい「生の讃歌」だと感じました。いやあ、読んでみて良かったです。

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「殿山泰司ベストエッセイ」(ちくま文庫)


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横浜 伊勢佐木町の古本屋で、懐かしい文庫本を購入してしまいました [本を読んでいる]

前の記事で、今週の火曜日の午後に一人で外出し、横浜駅近くの中古レコード・CDショップでちょっと珍しい中古CDを購入したことを書きましたが、その後、私はJR京浜東北線に乗り、お隣の桜木町で下車、野毛のジャズ喫茶店「ちぐさ」でコーヒーを頂いたり、更に伊勢佐木町まで足を伸ばしてお店巡りをしたりしながら、のんびりと過ごしました。

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これらはその日の野毛、都橋あたりの様子。

伊勢佐木町の商店街には何軒か古本屋があるのですが、そのうちの一軒「雲雀洞」を訪れたときに、とても懐かしい文庫本を見つけました。それは殿山泰司著「日本女地図」(角川文庫)です。この本は今から40年近く前、私が大学生の頃に文庫本を購入して読み、とても面白かったという記憶があります。1969年にカッパ・ブックスで発行され、その後、永らく絶版になっていたのですが、1983年にコピーライターの糸井重里が角川書店に掛け合い、その結果、文庫にて復活された(そしてその後、また絶版となった)という、いわく付きのものです。ちなみに文庫本の解説は糸井重里氏が書いています。当時、私が読んだ本は、(もしかしたら九州の実家の物置に、ダンボール箱に入れられたまま置かれているかもしれませんが)行方不明となったままです。

私が見つけた古本は状態は非常に良く(丁寧にパラフィン紙と思われるブックカバーがつけられています)、文庫本初版の帯付きで、なんと当時の価格の10倍近い3千3百円で売られていました。購入するかどうか、かなり悩んだのですが、この機会を逸すると、もう二度と手にするチャンスもないかも知れないと思い、思い切って購入しました。

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こちらが今回、私が入手した殿山泰司著「日本女地図」(角川文庫)

この本は、まさに奇書といってよいもので、名脇役俳優でありエッセイストとしても知られた殿山泰司(とのやま たいじ 1915〜1989年)が、自身のこれまでの千人近くの女性遍歴を通じて知った、女性の体やセックスの特徴などが、生まれ育った土地の風土の違いによって、どのように違うのかということを都道府県別に記したものです。書かれている内容は、正直言って、かなりくだらないものながら、なんと言えば良いのか、絶妙の面白さに溢れています。ぶっちゃげ、エロクソジジイの猥談話と言ってしまえばそれまでなのですが(汗)、話に何とも味があるというか、単なる猥談話として片付けてしまうにはもったいないと思わせる魅力があります。

こうして、私は約40年ぶりに再読したのですが、あまりのくだらなさ、面白さにお腹を抱えて笑う羽目となりました。内容が内容だけに(汗)、中身を紹介することができないのが、とても残念です。調べてみると「BOOK☆WALKER」がインターネットで電子書籍版を販売しており、とても安く(今はセール中ということで税込み354円でした)、手軽に読むことができるようです(販売サイトはこちら→https://bookwalker.jp/de940123a8-2169-43e7-a770-07cf5c6ce60f/。興味のある男性の方は是非、一度読んでみてください。本当にくだらないのですが、めちゃくちゃ面白い本ですよ。


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山田清機著「寿町のひとびと」を読み終えました [本を読んでいる]

昨日、自室で山田清機著「寿町のひとびと」(朝日新聞出版)を読み終えました。この本は2020年の秋に出版された、横浜市内の一等地の一角、幅200メートル、奥行き300メートルの中に120軒の簡易宿泊所があり、6000人を超える人々が宿泊するという「ハマのドヤ街」として知られる中区寿町の、住人や関係者からの聞き取りを中心に、6年間に亘って取材したノンフィクションです。出版されたときには新聞等で話題となり、私も読んでみようと思いながら、いつの間にか失念していたものです(汗)。先日、中区伊勢佐木町の有隣堂を訪れたときに、この本が大きく紹介されているのを見て思い出し、慌てて図書館から借りてきました。

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山田清機著「寿町のひとびと」(朝日新聞出版)

寿町は私にとって「近くて遠い町」です。1996年から2010年までの15年近くの間、私は寿町の最寄り駅である京浜東北線石川町駅から中村川を超えて一駅ほど大船駅寄りとなる山手駅の近く、小高い丘にある根岸森林公園の真向かいにあるマンションに住んでいました。そのため、車で桜木町方面に行くときには、常に、この寿町を横目で眺めていましたし、二度ほどドヤ街近くのスナックや飲み屋で、伊勢佐木町に住む会社の同僚たちとお酒を飲んだり、カラオケで歌ったりしたこともあります。夏はゴミと排泄物のすえた臭いが漂い、冬になると路上で簡易宿泊所の住人たちがタイヤを焼いて焚き火をしていて、その異臭がしたりと、ドヤ街ならではの一種異様な雰囲気にはさすがに近寄りがたいものを感じつつも、(興味本位といってしまえばそれまですが)一体、どんな人がどんな暮らしをしているんだろうと思っていました。

この本では、このドヤ街の簡易宿泊所の住人や、寿町にある酒屋や交番、そして保育所や福祉センター、生活自立支援センターの関係者やプロテスタント教会の牧師へのインタビューを中心に、この町がドヤ街となった歴史、そして労働者の町から今の、行き場のない高齢者たちの最期の住処となった(寿地区に暮らす60歳以上の97%が生活保護受給者だそうです)今の状況、そして付近の路上生活者たちの生活とボランティアの取り組みといったものが詳しく書かれています。

インタビューを通じて、著者は常に、自分は「こっち側」の人間なのか、それとも「あっち側の人間」なのかと、自分に問いかけます。普通に考えれば、まっとうな生活を送っている「こっち側」の人間なのだろうとは思うものの、この本を読んでいると、その境は実は曖昧で、やすやすとどちらにも行き来することができるものかもしれないと思わせるものがあります。私は、この本を読んで、ドヤ街の住人たちが、ある意味、めちゃくちゃ人間っぽいっと同時に、とことん冷めているように感じられたのがとても印象的でした。どちらも「自分」しか信じていない人々が、一方は(まるで聖人のように)生活困窮者の支援をしたり、そしてもう一方が、その助けを受けていたり、支えられたりしているように思われたのです。

寿町は、むきだしの「極限」の町です。そこに日本の未来、ひいては人類の未来をも垣間見たような気がするのは私だけでしょうか。久しぶりに読んだノンフィクションですが、私はとても興味深く読みました。


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長月達平著「Re.ゼロから始める異世界生活 28」を読み終えました  [本を読んでいる]

2021年12月24日に発売になった最新刊、長月達平著「Re.ゼロから始める異世界生活 28」(MF文庫J )を読み終えました。このシリーズはこれまでテレビアニメ、OVA、Web小説等で観たり、読んだりしていたのですが、私は電子書籍版を入手、電子書籍リーダー「Kindle Paperwhite」で読みました。

この物語はこの物語は、突如、異世界に召喚された引きこもりの少年・ナツキスバルが、唯一与えられた能力「死に戻り」の力を使って、ヒロインであるハーフエルフ、エミリアをはじめとする仲間たちと共に、絶体絶命のピンチの中、みんなの命を救いながら、一緒に運命を切り開いていくというライトノベルです。物語は26巻から新たに第7章に入っていまして、(大体5巻で一章が終わるので)まさしく佳境といったところでしょうか。

今回も楽しく読ませていただいたものの、少し停滞感というかマンネリ感を感じてしまいました。この26巻から始まる章は一つの独立した物語のようで、魅力に少々欠けているような気がします。これからも私は読み続けるのでしょうが、早く物語が広く複雑なこの物語全体の謎を解き明かすという方向に戻ってくれることを願っています。

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長月達平著「Re.ゼロから始める異世界生活 28」(MF文庫J )


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小川洋子とクラフト・エヴィング商會の共作「注文の多い注文書」を読み終えました。 [本を読んでいる]

昨日、久しぶりに会社に出社した帰りの電車内で小川洋子とクラフト・エヴィング商會の共作「注文の多い注文書」を読み終えました。この本は、次女が図書館から借りていたものを又貸しして貰って読んだものです。これまで何回か書いていますが、私は本は基本的に図書館から借りて読むようにしているのですが、次女も私を真似て、最近は本は図書館から借りているようです。

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小川洋子、クラフト・エヴィング商會「注文の多い注文書」(ちくま文庫)

この本には5つの物語が収められていて、それぞれの物語は「注文書」「納品書」「受領書」から成り立っています(ただし、最後の「冥途の落丁」だけは「受領書」はありません)。そして、そのうち「注文書」と「受領書」は小川洋子さんのテキスト、「納品書」はラフト・エヴィング商會による写真と文によるものです。内容は、

サリンジャーの「バナナフィッシュにうってつけの日」、村上春樹の「貧乏な叔母さんの話」、内田百閒の「冥途」など、5つの物語に登場する“この世にないもの”を小川洋子が注文し、クラフト・エヴィング商會が探し出す…。はたして「ない」はずのものは、注文主に届けられるのか? 現実と架空が入り混じる世界で、2組の作家が想像力の火花を散らす前代未聞の小説。
(以上、Amazon「商品の説明」−内容(「BOOK」データベースより)からの引用です)

といったもので、小川洋子さんの小説の特徴でもある「喪失」をテーマとした、一風変わった幻想小説です。解説は料理ジャーナリストでもある平松洋子さん(彼女の著作について以前、私が書いた記事はこちら→https://syoso-chunen.blog.ss-blog.jp/2012-05-07が書いています。

この本は、本好きにとっては堪らないものです。なんといっても、有名作家の小説を題材とし、それらにインスパイヤされた著者が夫々の小説の上に「無い」物語を紡いでいくといったメタ構造となっている上、クラフト・エヴィング商會の「納品書」は、更にその「無い」ものを「有り」にしているわけですから(ただし「肺に咲く睡蓮」は見つけられないままとなっていますが、その痕跡は見つけてはいます)、これは面白くないわけがないですね。私は本当に楽しく本書を読みました。

まさしく「読書の快楽」という言葉がぴったりの本です。とてもおもしろかったです。


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長月達平著「Re.ゼロから始める異世界生活 27」を読み終えました [本を読んでいる]

かなり前の話になってしまって恐縮ですが、長月達平著「Re.ゼロから始める異世界生活 27」(MF文庫J )を読み終えました。このシリーズはこれまでテレビアニメ、OVA、Web小説等で観たり、読んだりしていたのですが、6月下旬に最新巻となる27巻が出版され、私は7月頭に電子書籍版を入手、電子書籍リーダー「Kindle Paperwhite」で読み終えました。

この物語はこの物語は、突如、異世界に召喚された引きこもりの少年・ナツキスバルが、唯一与えられた能力「死に戻り」の力を使って、ヒロインであるハーフエルフ、エミリアをはじめとする仲間たちと共に、絶体絶命のピンチの中、みんなの命を救いながら、一緒に運命を切り開いていくというライトノベルです。物語は前の巻から新たに第7章に入っていまして、(大体5巻で一章が終わるので)やっと佳境に入ってきたといったところでしょうか。

この主人公のナツキスバルの持つ「死に戻り」という能力は、死んでしまっても過去のあるところまで強制的に戻ってしまう(どの時まで戻るかは制御不能)という、一種のタイムリープ(時間跳躍)の能力です。主人公はこの能力以外、ほぼ普通の人間で超人的な身体能力等は一切持たないため、一度「死に戻り」をすると、その死の要因を自ら解除しない限り、何回も死に直面せざるを得なくなるという訳です。今回では死んだ後に戻った時が、その死の直前ということもあって何ともグロデスクというか救いのない状況が続くことになってしまいました。一体、どうやって死なずに済むようになるのか(読んでいる方も)ハラハラ、ドキドキしながらの読書となりました。

この巻では最後に思わず「あっ!」と驚く展開があり、続きがどうしても読みたくなってしまいます。ラノベといってしまえばそれまでですが、本シリーズのスケールの大きく、複雑な世界観、そして何より多くの魅力的なキャラクターが織りなすストーリーは本当に面白いものです。次巻は多分今年の10月くらいには発売されるかと思われますが、今から待ち遠しくて仕方がありません。

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長月達平著「Re.ゼロから始める異世界生活 27」(MF文庫J )


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村上春樹著「古くて素敵なクラシック・レコードたち」を入手し、読み終えました [本を読んでいる]

昨日の新聞の広告で村上春樹著「古くて素敵なクラシック・レコードたち」が発売されたことを知り、さっそく職場近くの本屋で購入、先程読み終えました。

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村上春樹「古くて素敵なクラシックレコードたち」(文藝春秋)

この本は村上春樹氏の1万5千枚ほどのレコードコレクション(凄い!)の二割程を占めるというクラシック音楽のレコードの中から、彼自身が面白いと思ったレコード、486枚を紹介したものです。本の冒頭、「なぜアナログ・レコードなのか?」と題された章で、彼は自身のレコードへの偏愛ぶりを「宿痾(しゅくあ)」と自嘲していますが、私もレコードコレクターの端くれということもあり、深い共感を覚えました。

さっそく読んでみると、彼のクラシック音楽、そして演奏者の好みが私のものとは少し異なることが分かりました。少し残念に思ったのは女性ピアニストのレコードがほとんど紹介されていなかったことです。本書で紹介されている女性ピアニストはルーマニア出身のクララ・ハスキル(Clara Haskil 1895〜1960年)とスウェーデン出身のインゲル・ゼーデルグレン(Inger Södergren 1947​年〜)くらいだったかと思います。紹介されていたのは男性ピアニストのものが多く、また交響曲・管弦楽、室内楽曲のレコードが多い点も私の好みとは異なります。また古楽器による演奏はゼロでした。これはレコードの時代にはまだ古楽器演奏がポピュラーではなかったことを考えると当然なのですが、本書を読む限りでは彼自身、古楽器の演奏にはあまり興味がないというか、それほど好きではないように感じました。

まあ、人それぞれ、人によって好みが違うのは至極当たり前のことなのですが、彼の音楽、そして演奏者の嗜好が私と似ているのではと勝手に思い込んでいたので(これって、私にはよくありがちの悪癖です)、深く自省した次第です。

といいながらも、私は楽しくこの本を読みました。ただ、本当に彼のプライベートなクラシック音楽の趣味を紹介したものなので、クラシック音楽にある程度詳しくないと面白いとは思えないかもしれません。しかし、レコードのジャケットって、見ているだけで本当に楽しいですよね。今回、私にしては珍しく新刊を購入したのは、この、雰囲気のある数多くのレコードのジャケット写真を手元に置いておきたいと思ったからです。

クラシック音楽好きで、しかもレコードマニアの方なら必見の本かと思います。おすすめですよ。


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マーセル・セロー著「極北」を読み終えました [本を読んでいる]

先週、自室でイギリスの作家、マーセル・セロー(Marcel Theroux 1968年 - )著「極北」(村上春樹訳 中央公論新社)を読み終えました。著者のマーセル・セローの父は作家のポール・セロー、弟はTVドキュメンタリー製作者のルイス・セローといった具合に、とても才能豊かな一家のようです。この本は、アマゾンのサイトを見ていた時に「この商品に関連する商品」として紹介されていて興味を持ち、図書館から借りたものです。内容は世界の終末を迎えつつある中、シベリアの寒村にたった一人で生き延びている女性、メイクピースを主人公としたディストピア小説です。

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マーセル・セロー著「極北」(中公文庫)

こんなことを申し上げるのはかなり憚られるのですが、余り期待していなかった割には、私は一気に、この小説世界に引き込まれ、そして(これも語弊がありそうですが)とても面白く読みました。ただ、物語の終わり近くになって、前半部分の色々な伏線が回収されるのですが、回収されるたびに小説のスケールが少し小さくなってしまっているように感じられました。また、後編部分で生じた謎は解き明かされず、そのままになってしまっています。そうしたところが少し残念だと思いました。私の読み方が浅かったのか、または勝手に、この小説に象徴性のようなものを求めていたせいなのかも知れません。読まれた方の忌憚のない意見を知りたいです。


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ライトノベルを二冊読みました [本を読んでいる]

最近になって、ライトノベルを二冊読みました。今回はその本と読んだ感想を簡単に紹介したいと思います。

一冊目は長月達平著「Re.ゼロから始める異世界生活26」(MF文庫J )です。このシリーズはこれまでテレビアニメ、OVA、Web小説等で観たり、読んだりしていたのですが、偶然、最新巻となる26巻が出ていることを知り慌てて電子書籍版で入手、持っていた電子書籍リーダー「Kindle Paperwhite」にて一気に読み終えました。この物語はこの物語は、突如、異世界に召喚された引きこもりの少年・ナツキスバルが、唯一与えられた能力「死に戻り」の力を使って、ヒロインであるハーフエルフ、エミリアをはじめとする仲間たちと共に、絶体絶命のピンチの中、みんなの命を救いながら、一緒に運命を切り開いていく物語です。

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長月達平著「Re.ゼロから始める異世界生活26」(MF文庫J )

この26巻から新しく第7章となります。またもゼロからのスタートとなった主人公ナツキスバルの新しい冒険が始まり、主要キャラクターの一人であるレムがついに覚醒(とはいえ、色々と問題はありますが)します。私はこのシリーズのファンなので、わくわくしながら読み進めました。いやあ、やっぱり素直に面白いです。続きとなる27巻は6月に出版される予定のようなので今から楽しみにしています。

そしてもう一冊は渡 航著「やはり俺の青春ラブコメは間違っている14」(ガガガ文庫)です。この本はかなり前に図書館で貸し出し予約をしていたのですが、なかなか私の順番が来ず、やっと今頃になって借りることができました。これがシリーズ最終巻となります。

まちがい続ける青春模様、シリーズ完結。
季節はまた春を迎えようとしていた。
同じ日々を繰り返しても、常に今日は新しい。悩み、答えに窮し、間違えを繰り返しても、常に飽きもせず問い直すしかない――新しい答えを知るために。
言葉にしなければ伝わらないのに、言葉では足りなくて。いつだって出した答えはまちがっていて、取り返しがつかないほど歪んでしまった関係は、どうしようもない偽物で。
――だからせめて、この模造品に、壊れるほどの傷をつけ、たった一つの本物に。故意にまちがう俺の青春を、終わらせるのだ――。
過ぎ去った季節と、これから来る新しい季節。
まちがい続ける物語が終わり……そしてきっとまだ青春は続いていく。シリーズ完結巻。
(以上「Amazon」商品紹介からの引用)

たしか、この物語は色々なトリックが仕掛けられた、なかなか厄介なものだったと記憶していたのですが、前巻を読了してから、かなりの日数が経っていたこともあり、そんなこともすっかり忘れていて(汗)、ただただ(既にテレビアニメで観て知っていた)ストーリーの追体験となっていまいました。それでも私はとても楽しくこの本を読み終えました。主人公の求めていた「本物」というのは、自分自身の奥底にある隠れた純粋な気持ちを知り、それに応えた行動をすることでした。思春期の頃は、自己憐憫や自己欺瞞、そして自己顕示欲その他の色々な感情の中で、なかなか自分自身の本当の気持ち、感情を知ることって難しいですよね。そして自分自身の本当の気持ちを知っても、その気持ちに応えた行動を起こすのはもっと難しいかと思います。そうした中、主人公があがき、苦しみながらもなんとか気づき、行動していく様は読んでいて共感します。まさに青春物語だなあと思った次第です(遠い目…(°O゜)☆\(^^;) バキ!)

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渡 航著「やはり俺の青春ラブコメは間違っている14」(ガガガ文庫)

こうして私は、二冊のライトノベルを読み終えました。「Re.ゼロ」の方はまだ続きますが、これからこうしたライトノベルを読む機会も徐々に減っていくかと思います。今回、私はとても楽しい読書体験を得ることができました。面白かったです。


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レイラ・スリマニ著「ヌヌ 完璧なベビーシッター」を読み終えました [本を読んでいる]

先日、モロッコに生まれ、フランスで活躍する作家・ジャーナリストであるレイラ・スリマニ(Leïla Slimani 1981年~)の小説「ヌヌ 完璧なベビーシッター(原題は「Chanson douce (優しい歌)」)」を読みました。以前、読み終えた本(フエンテス「アルテミオ・クルスの死」)を図書館に返却しに立ち寄った際に、書棚を眺めていて、ふと気になって本書を手にし、この小説が2016年の、フランスで最も権威のある文学賞のひとつであるゴングール賞に選ばれた本であることを知り、思い切って借りてきたものです。

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レイラ・スリマニ著「ヌヌ 完璧なベビーシッター」(集英社文庫)

私はこれまで、ゴングール賞受賞作は意識して読むようにしていたのですが、ここ最近は、ほとんど読んでいませんでした。久しぶりのフランスの現代小説、それもゴングール賞受賞作ということで、とても期待しながら読み始めました。内容は、

パリ十区のこぢんまりしたアパルトマンで悲劇が起きた。子守りと家事を任された“ヌヌ”であるルイーズが、若き夫婦、ミリアムとポールの幼い長女と長男を殺したのだ。そしてルイーズも後を追うように自殺を図り―。子どもたちになつかれ、料理も掃除も手を抜かない完璧なヌヌに見えたルイーズがなぜ?事件の奥底に潜んでいたものとは!?
(以上、「BOOK」データベースの「内容紹介」の引用)

というもので、ミステリー仕立ての小説となっています。読者は最初に、ベビーシッターのルイーズが、若き夫婦、ミリアムとポールの幼い長女と長男を殺したことを教えられますので、その事件の背景と犯人の動機がどういうものだったのかについて興味を掻き立てられながら、読み進めることになります。とはいえ、この小説では、最後まで殺人の動機が明確に示されることはありません。ですので、それは読者の想像に任せられることとなります。そこに私は不満というか、「はたして本書は小説と言えるのか?」という、素直な疑問を抱く結果となりました。

ただ、本書が(フランスの)現代社会における、様々な、繊細かつ深刻で、解決困難な諸問題の提起を行っていることは私でも十分理解できます。本書が、ゴングール賞に選ばれた理由も、多分、そこにあったのではないかと推察します。欧米的な個人主義というか、そうした考えに基づいた生活の裏に、大きな(若しくは多くの)「罠」があるということなのでしょう。私のような、日本という島国のぬるま湯にどっぷり浸かり、何も考えずに暮らしている者には到底気づかない(というか、気づこうともしていない)こうした繊細な問題について、意識、そして視座を持つ必要があると自戒した次第です。

こうしてふり返ってみると、なかなかエキサイティングな読書体験を得たことに気付かされます。ただ、やっぱり、著者は本書においては、小説家としての責任を最後に放棄してしまったのではないかという思いに囚われてしまいます。その一点において、私は本書を、他の方に勧めようとは思えませんでした。今回、こうして言い切っていますが、私の読書力不足で本書をきちんと読み切れていない可能性も否定できないです(汗)。もし、私の根本的な理解不足があるようでしたら、(私のメールアドレスはプロフィール欄に載せていますので)ご教示いただければ幸甚です。


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