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「レコード芸術」の休刊について [本を読んでいる]

前回の記事で雑記「POPEYE」について書きましたので雑誌つながりということで、この件についても、とりあえず私の雑感を述べたいと思います。ご存知の方も多いと思いますが、『レコード芸術』(音楽之友社)が、2023年7月号(6月20日発売)をもって休刊しました。 同誌は1952年3月の創刊で、71年の歴史を持つクラシック音楽のレコード(CD)の評論誌です。

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正直言って、私はレコ芸(「レコード芸術」の通称)の熱心な読者ではありませんでした。本屋に立ち寄った時に、ちらっと立ち読みする程度で(汗)、実は、この月刊誌をこれまで一度も購入したことはありません。ただ、45年ほど前、私がクラシック音楽を熱心に聴き始めた高校生の頃に、「名曲名盤300」と謳った、クラシック音楽の名盤を紹介したレコ芸別冊のムック本を熱心に、それこそいつも穴のあくまで眺めていた経験があります。あのころは少ない小遣いを必死に貯めて、近く商店街のレコード店でクラシック音楽のレコードを購入していました(一ヶ月に一枚買えれば良いほうでした)。失敗は許されない状況の中、いつもムック本で紹介されていた「名盤」を買うのが常でした。

大学生になり、クラシック音楽の鑑賞専門サークルに入ると、バイトでレコードの購入資金がそれなりに自由になったこともあり、私は都内の大型レコード店で自分の意思でレコードを選んで購入するようになりました。新しい発見があったり、また色々な失敗もしましたが、そんな経験をしながら、私は次第に、自分の好きな音楽のジャンル、作曲家そして演奏家が分かるようになりました。その上、周りには、いつもクラシック音楽好きの先輩や仲間がいるという恵まれた環境も手伝い、強いてレコ芸を買う必要はなかったというのが実情でした。

大学を卒業し会社員になってからも、クラシック音楽は聴き続けましたが、それでも私はレコ芸を立ち読みこそすれ、購入することはありませんでした。実際、買う必要を特に感じなかったのです。もう自身の音楽、演奏の好みは自分で分かってましたし、ある程度の知識の蓄積もあった上、飛躍的に自分の自由になるお金が増え、購入にあたって冒険もできるようになっていました。

レコード(CD)評というのは、私のとっては最後まで、レコード・CDを買う際のあくまで参考というか一つの付帯情報のようなものでしたし、比較的恵まれた環境の中で、それすら、あまり必要がなかったということなのでしょう。私にとってレコ芸は情報誌に過ぎなかったのです。そんな、レコ芸に対して薄情な私なのですが(汗)、それでも「レコード芸術」が休刊になるというニュースを知ったときには、一抹の寂しさを覚えたことは事実です。一つの時代の終焉だと感じたと共に、もう、時代はとっくに変わってしまっているのだとも思いました。今の若い人は情報のとり方、集め方が、私のような古い世代とはまったく異なるのだと思います。タテ方向ではなくヨコ方向とでも言うのでしょうか、そういう中でタテ方向の典型とも言える評論誌であるレコ芸は、自身の存在価値を喪失していったということなのでしょう。

以上が「レコード芸術」休刊についての私の雑感です。なんとも厳しいものになってしまったのかもしれません。ただ、私にとって、レコードやCDを始めとする音楽鑑賞は自身にとって、とても大切なものではあるものの、一つの「個人的な体験」にしか過ぎないという思いだけは拭い去ることができないのです。


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久しぶりに雑誌を購入しました。 [本を読んでいる]

ちょっと前の話になってしまって恐縮ですが、会社帰りにふと立ち寄った自宅最寄り駅近くの小さな本屋さんで見つけて思わず買ってしまった雑誌が「POPEYE No.914」(2023年6月号)です。
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今回の特集は「レコードと時計」ということでして、「音楽聴くのも時間知るのも携帯だけじゃもったいない。好きなレコードと時計の話」とのサブタイトルが掲げられています。中には色々なレコード好き、腕時計を始めとする時計好きな方々のコレクションやお話が載っていて、私は楽しく眺め、そして読むことができました。雑誌には「YELLOW PAGES」という特集ページがついていて「レコード&腕時計のストアガイド・東京版」として50店舗が紹介されています。紹介されている中古レコード店の中にはインディースやパンク、ハウスミュージックや民族音楽を専門とした、私もまったく知らなかったマニアックなお店もあり、とても参考になりました(といっても職場や自宅から離れたお店が多く、訪れるのは当分先になりそうなのが残念ですが...)。

いつも私は、雑誌(電子版)の読み放題のサービスを提供しているNTTドコモの「dマガジン」を使って雑誌を読んでいるのですが、久しぶりにこうして、実物の雑誌を手にとってパラパラとめくりながら読む喜びを味わうことができました。

これからも、時々は本屋さんに立ち寄って、本や雑誌を眺め、そして手にとってみようと思いを新たにした次第です。


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今朝、自室で村上春樹著「街とその不確かな壁」を読み終えました [本を読んでいる]

今朝、自宅の四畳ほどの屋根裏部屋の自室で、村上春樹著「街とその不確かな壁」を読み終えました。この小説は彼にとって6年ぶりの最新長編ということで話題になっているものです。私は妻から背中を押される形で、先週の日曜日に新刊を購入し、昨日から本格的に読み始めて、なんとか読み終えることができました。

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村上春樹著「街とその不確かな壁」(新潮社)

著者が「あとがき」で述べていますが、この小説は1980年に「文學界」に発表された同名の中編小説を大幅に書き直したものだそうです。結果的に以前は原稿用紙150枚程度だった、その小説は今回、1200枚もの長編小説へと生まれ変わっているとのこと。著者は、最初に発表した中編小説が「どうしても納得がいかず、書籍化はしなかった」と、そして「あとがき」の別のところでは「未完成」であり、「未熟性」があったと書いています。そうした経緯もあって、こうして約40年ぶりに書き直されたものです。

しかしながら、私はこの長編小説を読み終えた後、今回の改訂とでもいうべきものが成功しているとは、到底思えませんでした。読み始めた最初の頃は、それこそ「読書の悦楽」を味わっていたのですが、途中から不安を覚えるようになり、そして読み終えた時には少し落胆しました。読了後の最初の雑感は「この小説は、ひたすら同じ場所をグルグルと廻っている…」というものです。なんといえば良いのか、有り体に言えば、モチーフがこれだけの長編小説に足り得るだけの力をそもそも持ち得ていないように思われるのです。私自身は最初の同名の中編小説を読んでいないので、なんとも確信めいたことは言えないのですが、結果的に著者の自己満足とまでは言いませんが、ただ饒舌になっただけではないかという思いを拭い去ることはできませんでした。

これまで読んできた村上春樹の小説の中で、ここまで落胆したのは、もしかしたら初めてかもしれません。もしかしたら、これは私の加齢による頭の衰え、文学的感受性の低下によるものかもしれないところが怖いところですが(汗)、それでも私は、この作品については厳しい評価を下さざるを得ません。家族や他の人に薦めることはないでしょう。期待が大きかった分、少し残念な読書体験となりました。


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横浜、伊勢佐木町の喫茶店で兼本浩佑著「普通という異常 健常発達という病」を読み終えました [本を読んでいる]

昨日の夕方、横浜、伊勢佐木町の喫茶店で、お気に入りのクリームソーダを食べ(飲み)ながら、兼本浩佑著「普通という異常 健常発達という病」(講談社現代新書)を読み終えました。兼本氏は現在、愛知医科大学医学部精神科学講座の教授、専門は精神病理学とのことで、他にも多くの著作があるようです。私はこの本のことを週刊文春(3月16日号)の書評欄で知り、さっそく本屋で買い求め、読んでみたという訳です。

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こちらがこの日、喫茶店「あづま」で頂いたクリームソーダ。何とも美しいお姿です。

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この日、読み終えた兼本浩佑著「普通という異常 健常発達という病」(講談社現代新書)。いつも本は図書館で借りて読むのですが、何となくこの本は自宅近くの本屋で購入しました。私にとって、これはとても珍しいことです。

この本はADHD(注意欠陥・多動性障害)やASD(自閉スペクトラム症)と、その対極に位置づけられる健常発達を、どちらも「病」として捉えた上で、この「自他」の精神病理学的な問題に、社会学やこれまでの先人達の哲学理論を援用しながら考察したエッセイとでも言うべきものです。

著者が「後書き」でも述べている「それぞれの病はそれに固有の哲学的方法との親和性がある」という主張は頷けるものです。そしてそれは、本書で紹介されている病と哲学理論、それぞれの理解を助ける上でとても有用なものであると思いました。その上で「病とは、病む本人かその周囲の人にとっての受苦の体験であることが、哲学者と精神医学者を分かつ分水嶺」ではないかという著者の主張には精神医学者としての矜持を感じました。

新書とはいえ、こうした硬めの本を久しぶりに読んでみて、自らの頭脳の性能の凡庸さに改めて恥じ入った次第です。これは雑感になりますが、読んでいるあいだ、何となく気になっていたのは、(個人・団体それぞれ含め)「スポーツ」は、そして「忘我」という現象は精神病理学的、そして哲学的には、どのように捉え、考えられるのかという素朴な疑問でした。是非、著者の見解を訊いてみたいものです。

久しぶりの読書で、私は良い刺激を受け、知的興奮を得ることができました。やはり本は読まなきゃですね。 (°O゜)☆\(^^;) バキ!


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澤大知著「眼球達磨式」を読み終えました [本を読んでいる]

昨日、会社帰りの電車の中で澤大知著「眼球達磨式」を読み終えました。

私は、小さなメモ帳をいつも肌身離さず持ち歩いているのですが(前にそのことを書いた記事はこちら→https://syoso-chunen.blog.ss-blog.jp/2015-05-15、先日ふと、以前書いたメモを読み返していたところ、汚い字で「眼球達磨式」澤大知と書かれていることに気づきました。自身が、どういう経緯でこうしたメモを残したのか、全く覚えていないのですが(汗)、多分、新聞等の読書欄かネット記事を読んで興味を持ち、書き残したものと思われます。ちょうど、本でも読もうと思っていたこともあり、とりあえず図書館に貸出予約をして借りてきたというわけです。内容は、

無為な日々を過ごす「彼」は、移動式の監視カメラ「アイ」を手に入れた。極小眼球型の機体で街を疾走するが、ある日、なんとアイが勝手に自走をはじめ――。
(以上、Amazonの商品紹介文からの引用です)

という、100頁程の小説でして、私は昨日の行きと帰りの通勤電車内で、それこそ一気に読み終えました。

この小説は面白いです。意味不明というか不条理といってもよい、荒唐無稽なストーリーながら、話の展開がとても自然というか違和感がなく、(実験的な小説にも関わらず)ぐいぐいと引き込まれていきます。それこそ作者の筆力の高さなのでしょう。素晴らしい才能だと驚嘆した次第です。私はこの小説を読みながら安部公房氏の「箱男」を思い出していました。

そして、不思議な、それでいて充実感に満ちた読後感に包まれながら、奥付をみると、

澤大知(さわ だいち)
1996年、神奈川県の生まれ、
2021年「眼球達磨式」で第五八回文藝賞を受賞。同年、逝去。

と書かれていました。

不慮の死とのことですが、運命は時に、才能ある者に残酷です。もっと彼の作品を読んでみたかったなあと思いながら、私は彼の早すぎる死を悼みました。

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澤大知「眼球達磨式」(筑摩書房新社)


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エルヴェ・ル・テリエ著「異常(アノマリー)」を読み終えました [本を読んでいる]

ここ二週間ばかり、いつもの悪い癖でブログの更新を怠っておりました。記事にしたいことはいくつかあるのですが、まずは昨日、会社に向かう通勤電車の中で読み終えた海外小説のことを、読後感や印象が薄まらない内に紹介したいと思います。

読んだ本は、パリ生まれのフランスの作家兼言語学者、エルヴェ・ル・テリエ(Hervé Le Tellier 1957年〜)の「異常(アノマリー)」です。2021年のゴンクール賞、ベストスリラー2021を受賞した、フランスで110万部を超えたベストセラー小説となります。

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エルヴェ・ル・テリエ「異常(アノマリー)」(早川書房)

私にとって、本格的な海外小説を読み終えたのは約1年半ぶり、イギリスの作家、マーセル・セロー(Marcel Theroux 1968年 - )著「極北」を読んで(その時の記事はこちら→https://syoso-chunen.blog.ss-blog.jp/2021-05-24以来となります。実はその間も、何度か本格的な海外小説を読むべく、図書館から何冊か本を借りたりしていたのですが、いつも途中で挫折したり、本を開くことすらなく、そのまま返却するのが常となっていました。言い訳めいた弁解になりますが、加齢のせいか、自身の読書力(知力や忍耐力、想像力)が低下しているようでして、このままだと、もう小説を読むことすら出来なくなっているかもしれないという、強い危機感を抱いておりました。こうして何とか読み終えることができて、正直なところ、少しホッとしているところです(汗)。

この小説は、設定はかなり突飛というか、まさしく「異常」の名にふさわしいものながら、サスペンス小説よろしく読みやすく、私自身は、それほど躓くことなくスラスラと読むことができました。ゴンクール賞に相応しい文学性を備えているかと問われれば、答えに窮しますが、とても現代的かつ普遍的なテーマを扱った面白い小説との印象を持ちました。

小説の内容については、Amazonの商品ページには、

殺し屋、ポップスター、売れない作家、軍人の妻、がんを告知された男……なんのつながりもない11人だったが、ある飛行機に同乗したことで、運命を共にする。飛行機は未曾有の巨大嵐に遭遇し、乗客は奇跡的に生還したかに見えたが―。
(以上「Amazon」の商品ページからの引用)

とあります。これ以上、私が書くネタバレになってしまうので、紹介を控えますが、前半部分、(飛行機が巨大嵐に遭遇するまでの)それぞれの登場人物の記述に、私はとても惹かれました。なんというか、これから一体、彼らに何が起こるのか、興味をひかれると共に、かれらの生活が、とても現代的で、その記述はとても文学性の高いものとなっています。

読んでいて、ふと感じたことは、この小説を、最初から漫画で書こうとすると、それはとても難しかったのではないかということです。その点において、この小説を通じて、「文学」が未だ持っている、ごく僅かな可能性を感じることができたことが、私にとっての驚きであり、喜びでした。

久々に海外小説を読み、貴重な読書体験を得ることができました。ふうっ、これからも機会を見つけて読書を続けていこうと決意を新たにした次第です。


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帰りの通勤電車の中で、松尾スズキ著「老人賭博」を読み終えました [本を読んでいる]

一昨日の帰りの通勤電車内で、松尾スズキ著「老人賭博」(文春文庫)を読み終えました。この本は、私が北九州市八幡西区黒崎で小中高校生時代を過ごしたことを知っている会社の同僚(彼自身は北九州市門司区出身)が「〇〇さんの故郷が舞台となっている小説で、そーとーくだらないですけど、読んでみます?」と貸してくれたものです。あまり気乗りはしなかったものの(汗)、せっかく貸してくれたのだからと読んでみました。

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松尾スズキ著「老人賭博」(文春文庫)

コメディ映画だけが救いの若きマッサージ師・金子堅三は、客として出会った映画監督・海馬五郎に「弟子入り」することに。はじめての撮影現場は、北九州のさびれたシャッター商店街だった。そこでスタッフやキャストが退屈しのぎにはじめた賭けは、78歳にして初主演の老優・小関泰司のNG回数を当てるというものだった……。
賭けねば、へたれだ。逃げ場はない! 北九州のシャッター商店街が心ない賭博のワンダーランドと化す──。映画撮影に打ち込む人々の心の黒さと気高さを描く爆笑&涙の小説。(以上「Amazon」の松尾スズキ著「老人賭博」商品ページからの引用です)

著者である松尾スズキ氏も北九州市八幡西区の出身ということもあってか、今はさびれたシャッター商店街と化した黒崎の街と、そこにたむろするしょうもないヤンキーをはじめとした怪しい人々の様子が、本当に生き生きと、屈折した愛情を込めて描写されていて、私も思わず引き込まれました。それにしても話自体は「極めてオーソドックスなスラップスティック・コメディ」(文庫本のケラリーノ・サンドロヴィッチ氏による「解説、あるいは解説にかえて」からの引用)よろしく、なんともくだらないものながら、市井の人間のバカバカしさというか悲しい性のようなものを見事に泣き笑いへと昇華させる著者の筆力には感心しました。

小説の中で黒崎は「白崎」になり、センセイは多分著者自身なのでしょう。そして小関泰司のモデルは間違いなく名脇役俳優でありエッセイストとしても知られた殿山泰司(とのやま たいじ 1915〜1989年)なのだと察することができます。他の登場人物たちも、分かる方には誰がモデルになっているのか容易に想像がつくのでしょう。もう、それだけで、この小説の面白さは確約されたようなものです。その中でも主人公の金子堅三は、小説の上では狂言回しのような役ながらも、著者の創作なのかもしれませんが、ひときわ際立った、個性的で魅力的な人物に感じられました。

ちなみにこれまで私が殿山泰司氏の著作について書いた記事はこちらとなります。
「横浜 伊勢佐木町の古本屋で、懐かしい文庫本を購入してしまいました」
 →https://syoso-chunen.blog.ss-blog.jp/2022-02-17
「「殿山泰司ベストエッセイ」を読みました」
 →https://syoso-chunen.blog.ss-blog.jp/2022-03-09

私は、それなりに面白く、この小説を読みました。これから機会を見つけて彼の他の小説を読んでみたり、舞台も観てみたいなぁと思った次第です。


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宮崎成人著「教養としての金融危機」を読み終えました [本を読んでいる]

今週の火曜日に、自室で宮崎成人著「教養としての金融危機」(講談社現代新書)を読み終えました。この本はたしか、今年のはじめ頃に日本経済新聞で書評を読んで興味を持ち、図書館で貸出予約をしたのですが、既に多くの予約者がいて、何ヶ月も待って、やっと借りることができました。

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宮崎成人著「教養としての金融危機」(講談社現代新書)

本書は、ここ100年間に起きた金融危機を大まかに解説したものなのですが、経済に詳しくない私でも、なんとか、それなりに理解することが出来ました。読みながら、常に感じていたのはお金というものの恐ろしさ、怖さと、それに振り回される人間の愚かさです。もちろん、私も例外ではありません。金融危機は終わってしまえば、なぜこういうことが起きたのか分析し、二度と起きないよう、予防策を打つことは、ある程度は可能です。しかし、危機はまた、必ず起きます。なんともやるせない話ではありますが、人間に欲がある限り、これは致し方ないことだと思います。

今年になってから、世界の状況は大きく変わり、人類は、今、まさしく危機の真っ只中にいます。これから世界はどうなるのか考えると、暗鬱な気分になることが多いのですが、それでもこの世界が少しでもより良いものとなるよう努力するしかないと思います。私は、この本を読みながら、そんな雑感を抱きました。


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横浜駅近くで靴を修理して貰った後、桜木町のジャズ喫茶店で宮下奈都著「羊と鋼の森」を読み終えました [本を読んでいる]

昨日は午後から外出の機会を得たので、横浜駅近くの「ミスターミニット」で革靴を修理してもらいました。この革靴、たしか2年程前に横浜の高島屋で購入した「リーガル」のものなのですが、踵のラバーがかなりすり減ってしまっていて、これ以上履き続けると土台の部分まで傷つけてしまいそうになっていました。なるべく早く修理したいと思っていたので、この機会にと、修理(と靴磨き)して貰ったという訳です。

修理は20分程で終わり、新たに踵に新たにビブラムソールがはられた綺麗な靴を履いて、今度は桜木町へと向かいます。ふうっ、なんだか、些細なことながらも、喉につっかえていたことが解決して、とても良い気分です。こんな事だったら、もっと早くやって貰えば良かったなどと思いながら、そそくさと電車に乗り、次の桜木町駅で下車しました。

この日は夕方6時から桜木町の寿司屋で、30年来の友人と親交を温める予定となっています。まだ待ち合わせの時間まで1時間半強あります。さて、どうやって時間を潰そうかと思っていると、ふと、近くに昔通っていたジャズ喫茶店「ダウンビート」があったことを思い出しました。このお店は、20年近く前にはよく通っていてウィスキーボトルをキープしたりもしていたのですが、いつの間にか足が遠のいてしまっていました。

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桜木町駅近く、野毛の雑居ビルの2階にある、1956年創業の老舗ジャズ喫茶店「ダウンビート」

お店に続く階段を上って中に入りました。たしか店内は、左側のスピーカー前のスペースはお喋り禁止、右側のカウンターはお喋りOKとなっていたかと思うので、今回は初めて左側のスピーカー前の椅子に座ってコーヒーを注文し、お店自慢のスピーカー「ALTEC A7」から流れるジャズに耳を傾けます。いやあ、本格的なジャズ喫茶店らしい、なんとも良い音です。そして嬉しいことに、なにしろ音がでかいです。これは素晴らしいですね。「(スピーカー前のスペースの)居心地がこんなに良いことが分かっていれば、このお店、もっと前から何度も来たのになぁ…」などと勝手に思いながら、読みかけの文庫本を読み始めました。

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ジャズ喫茶店「ダウンビート」、入って左側の店内の様子

いかにもジャズが好きそうな店員がかけるホレス・シルバー・クインテット+JJ,ジョンソン「Cape Verdean Blues」やチャールズ・ロイド「Montreux 82」の演奏の素晴らしさに、時々本の頁をめくる手を休めて聴き入ります。私にとっては、まさに至福の時間を過ごすことができました。

この日、店内で読み終えたのは宮下奈都著「羊と鋼の森」(文春文庫)です。この本は会社の仲間から勧められて貸してもらったものです。一人前のピアノの調律師を目指す若者が個性豊かな先輩たちや双子の姉妹に囲まれながら成長していく物語でして、2016年の第13回本屋大賞における大賞受賞作とのこと。ハートフルな佳作といった印象を受けました。たまにはこうして日本の小説を飲むのも良いものです。少し心が温かくなりました。

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宮下奈都著「羊と鋼の森」(文春文庫)。羊と鋼はピアノ線の素材のことでもあります。

さあ、もう、待ち合わせの時間です。コーヒー代650円を払って約束していた寿司屋へと向かいました。こうしてこの日、私は充実した一日を過ごすことができました。


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「殿山泰司ベストエッセイ」を読みました [本を読んでいる]

先ほど、会社の執務室で「殿山泰司ベストエッセイ」(ちくま文庫)を読み終えました。前に横浜伊勢佐木町の古本屋で殿山泰司著「日本女地図」を買って、40年かそこらぶりに再読したことを書きましたが(その時の記事はこちら→https://syoso-chunen.blog.ss-blog.jp/2022-02-17、他の彼の著作を読んでみたいと思い、こうして図書館から借りてきたのです。

銀幕やテレビで一度目にしたら忘れられない眼光鋭い禿げ親父。日本映画史に輝く名バイプレイヤー殿山泰司は、名エッセイストとしても知られている。国家も戦争も蹴っとばせ。あなあきい魂全開だ!酒とジャズとミステリを、そして何より自由を愛し、サングラスとジーンズで街を闊歩した「三文役者」の精髄を集めた決定版。(以上、Amazon「商品の説明」からの引用です)

殿山泰司(とのやま たいじ 1915~1989年)は「兵庫県神戸市出身。中央区立泰明小学校、東京府立第三商業学校卒業。終戦後の日本映画界において独特の風貌で名脇役として活躍した。ジャズとミステリーをこよなく愛し、趣味を綴った著書も多数残している。また、波乱万丈なその人生は、映画化もされている」(以上、こちらは「Wikipedia」からの引用です)人でして、関東風おでんの老舗名店「お多幸」の創業者の息子(彼自身は店を継ぎませんでした)としても知られています。私のような中高年の方ならばテレビや映画で、その姿を一度は見た覚えがあるかと思います。ほんと、かなり偏屈でくせの強そうな感じがしながらも、一度笑うと、その素敵な笑顔に思わず引き込まれてしまう、そんな、名脇役で知られた俳優であり、エッセイストです。

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在りし日の殿山泰司氏

私は、今回、初めて彼のエッセイを纏めて読みました。悪く言えばクソジジイの遠吠えのような文章なのですが、何といえばよいか、その語り口の軽妙さにとても魅力を感じました。「昭和には、こういう人って、いたよなー」とつい、自身が感傷にふけってしまいそうになります。正直、なんだかとても羨ましいと思いました。読んでいると何故か勇気が湧いてきます。どのエッセイも、素晴らしい「生の讃歌」だと感じました。いやあ、読んでみて良かったです。

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「殿山泰司ベストエッセイ」(ちくま文庫)


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