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沢田允茂著「現代論理学入門」を読み終えました [本を読んでいる]

昨夜、帰りの電車の中で沢田允茂著「現代論理学入門」を読み終えました。ここのところ、自身の論理学に対する基礎的な理解と知識の充実を図るべく、このような「入門」と名づけられた本を読んでいるのですが、この本には著者の、論理学、ひいては哲学に関する、非常に深い見識と洞察力が感じられ、また、その品格の高い、説明力に富んだ論理的な文章には、まさに敬服しながら、拝読させて頂きました。現代論理学を、これまでの哲学の中での位置づけ、意義を明確にしながら、まさに分かりやすく説明した素晴らしい入門書だと思います。読み終えて、ふと、奥付を見るとこの本は1962年、ちょうど私が生まれた年(ほぼ50年近く前に)に書かれているのですね。そんな古い本ながら、書かれている内容は、未だその輝きをまったく失っていないことにまた驚きました。印象深かった文章をいくつか紹介しますと、

(論理と経験との関係または結びつきの問題にあたっては)記号及び起動の使用の動きの具体的な分析を通じて初めて解答が得られるべきであろう。現在、言語分析とか分析哲学とか呼ばれている哲学の方法は、いわば哲学の永遠の問題の解決のための新しい武器である。過去の「観念論‐実在論(唯物論)」の問題の設定の仕方が現代では具体的問題の解決に無力となり、いわば泥沼に落ち込んでいるのは、これらの哲学が、現代論理学の展開と関連して明るみにでてきた記号の働きの重要性にたいする武器をもっていなかったことに原因があるのではなかろうか。(本文106P、文頭の括弧は私が付け足したものです)

「実在論」対「観念論」、「唯物論」対「唯心論」などの多くのことばは根本においてアリストテレス的論理学の発想法から生まれた形而上学の枠内での問題意識について語られた言葉である。現代の論理学と、その土台となっている記号論が、無意識のうちにも私たちの思想の基本的な構造に影響を与え、いわゆる「物の見方」に一つの変化をもたらすであろうことを、現代の哲学の流れは実際にしめしているように思われる(本文193P)

等、現代論理学の可能性を、これまでのアリストテレス、カント哲学の考えを飲み込み、そして乗り越えていくものとして積極的に捉えているところに共感を覚えました。
実際の論理学の紹介部分では、ラッセルのパラドックスについての説明と、どのようにその問題を論理学が解決していったかの解説(本文150~165P)が、簡潔ながらも、必要十分かつ非常に分かりやすかったのが印象的でした。これまで、色々な本で読みながらも、その理解が表面的なところに留まっていたようなところがあったのですが、この本に接し、やっと私はこのラッセルのパラドックスに関する基礎的な知識と理解を得られたような気がします。(これは、もしかしたら私自身が理解に要する思考時間量の問題だったのかもしれませんが、それにしても非常にわかりやすい解説だと思います)
論理学の良書にめぐり合うことができ、しあわせでした。この現代論理学という領域は、本当に面白いですね。今後共、現代論理学に関する本を読んでいきたいと思います。

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写真は沢田允茂著「現代論理学入門」(岩波新書)

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