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久しぶりに九州の実家に帰省しました(3) [旅をしている]

九州、大分の実家に帰省している間は、近くのスーパーで買ってきた刺身やお惣菜、そして常夜鍋や山香牛のヒレステーキなど、地元ならではの食と地酒を楽しみました。その中でも、特に美味しく頂いたのが「かぼすブリ」です。

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こちらが「The・おおいた」HPの記事「養殖ブリ・かぼすブリ」(→https://theoita.com/sanpinintro/1814/)にアップされている写真。見事なブリです。

かぼすブリは 大分産かぼすを餌に混ぜて育てた養殖ブリでして、驚くべきことに、そのお刺身はスーパー等では、天然ものよりもはるかに高い値段で売られています。かぼすを食べて育ったブリは、さっぱりとしていてくどくなく、食べやすいのが特徴でして、また鮮度も長く保たれることから、フレッシュな食感を楽しむことができます。出荷時期は限定されていて、11月~3月まで。今回はなんとか間に合いました。上品でおいしいお刺身でした。

お刺身を食べながら日本酒を飲むのは、私にとって至福の時となるのですが、前回、昨年9月に帰省した時に買っておいた大分佐伯の大地酒造の特別純米酒「花笑み」を頂きました。大地酒造は1885(明治18)年創業の老舗の酒蔵なのですが、跡継ぎがおらず困っていたところ、地元で酒店を営んでいた池田敬氏が是非引き継がせてほしいと頼み込み、その弟である、大分県内の二つの蔵で11年間、酒造りを学んだ弟の池田司氏が杜氏となり、兄弟で酒造りを始めました。そして大分県で一番新しい地酒のブランドとなる「花笑み」を販売したとのこと。

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こちらが大地酒造「花笑み」特別純米

私は今回、初めて、このお酒(特別純米)を頂いたのですが、すっきりとしながらも、趣のある味わいがとても印象的でした。食中酒としてちょうど良い案配というか、まさしく最適なお酒なのではないでしょうか?これは美味しいお酒です。一口飲んだだけで私はすっかりファンになりました。また一つ、浜嶋酒造の「鷹来屋」と並ぶ、大好きな大分の地酒が増えました。嬉しかったです。

月曜日になり、この三泊四日の里帰りも、もう終わりです。朝10時に近くのスーパーに母と行き、家族へのお土産にと、母に山香牛のステーキ用のヒレ肉を買ってもらい(汗)、実家に母を送るとまだ11時、羽田行きの飛行機は午後1時過ぎですので、まだ時間はたっぷりあります。私は思い切って別府に向かうことにしました。実は土曜日に別府のリサイクルショップに母と立ち寄った時に見つけた男物のバックがずっと気になっていたのです。それはCOACHのショルダーバックでして、新品同様(販売用のタグが付きっぱなし、鞄の中にはブランドの証明書もそのまま入っていて、使用された痕跡がまったくありません)のもので、1万2千円足らずの値段で売られていました。私はどうしても、そのバックのことが忘れられず、大分空港とは反対となる別府まで車を走らせたという訳なのです。行ってみると、まだ、お目当てのバックは売れずに商品棚に置かれています。どうしようか、本当に悩んだのですが、私の58歳の誕生日の、自分へのお祝いにと(恥ずかしながら、私はこういう都合の良い理屈だけは、幾らでも浮かべることができるのです)衝動買いし、慌てて大分空港へ向かいました。

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こちらが、今回、私が衝動買いしたCOACHのショルダーバック(型番F38741)。非常に質の良い本革がところどころに使われており、ブランドバックならではの高級感があります。

後で調べてみると、このCOACHのショルダーバックは正規の価格は8万2千円、ネットで売られている格安のアウトレット品が2万6千円程(これもかなり安いですけどね)でしたので、どうも賢い買い物ができたようです。ちょうどA4サイズの書類が収まる大きさでして、今年になって、私はこの大きさのバックを探していたところなので、ちょうど良かったです。「やったね」と思わずひとりごちました。

大分空港では、出発ロビーの売店で(いつものお約束の)辛子高菜と共に、北九州八幡の「かば田」の辛子明太子も購入(この「かば田」の辛子明太子について、以前書いた記事はこちらとなります。是非読んでみてください→https://syoso-chunen.blog.ss-blog.jp/2020-01-13、私はホクホクしながら横浜の自宅へと急ぎました。

今回は久しぶりの帰省でしたが、それなりに充実した旅となりました。田舎で独り住まいをしている老齢の母のこともあるので、これからは、もっと頻繁に実家に帰ることにしようと決意を新たにした次第です。

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相模湾と伊豆半島上空、帰りの羽田行きの飛行機の機内から望む富士山。見ているだけで何故か心が落ち着きます。新型肺炎等、こういう大変な時だからこそ、心の平穏というか、平常心が大切だと改めて感じました。


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久しぶりに九州の実家に帰省しました(2) [旅をしている]

先週の金曜日の夜に九州、大分の実家に帰省し、土曜日には別府のリサイクルショップを巡ったり、離れのオーディオシステムを整える作業などを終えると、日曜日は特に用事も無くなってしまいました。そこで母を連れだして、午後から(借りているレンタカーを使って)ドライブをすることにしました。

杵築市街を通って国道213号を暫く北上すると、帰省した時にはいつも訪れるうどん屋「元禄うどん」に着きました。亡き父も好きだったこのお店で、私はごぼ天そば、母は冷たい山かけそばを頂き、また車に乗ってドライブの始まりです。そのまま国道213号を北上し、海沿いに車を走らせます。

暫く走り、国東市国見町大熊毛で左折し、道沿いにあるお寺を訪れました。ここには母方の先祖代々のお墓があるのです。お墓参りを終え、また車に乗りドライブの再開です。ちょうど天気も良く、とても気持ちの良いドライブとなりました。「道の駅くにみ」で車を停め、母は地元の特産品の野菜や果物など、私は地元の陶芸教室の方が作ったおちょこを、なんと百円で買い求めました。

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こちらが母方のお墓。山の急な斜面に立っています。

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そして、こちらが国道213号沿い、海の近くに建つ「道の駅くにみ」。キャンプ場なども併設されているようです。

また暫く車を走らせ、今度は豊後高田市にある長崎鼻に向かいました。ここは「国東半島の先端あたりに位置します。周防灘に向かい「鼻」のように突き出した岬」(長崎鼻HPの説明文からの引用)でして、近くに姫島が望み、遠くに周防灘を隔てて四国、中国を望めることができます。また、今の時期は一面の菜の花畑で有名なところです。母と二人で岬から望む海を眺め、菜の花畑を散策し、この地区( 香々地)の出身で北原白秋の2番目の妻でもあった、薄幸の歌人といわれる江口章子(えぐち あやこ 1988~1946年)の歌碑を見ました。

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こちらが長崎鼻から眺めた海の様子。下の写真では遠くに姫島が写っています。

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こちらが長崎鼻の菜の花畑の様子。それなりに観光客の姿もみることができました。菜の花畑を見ると、私はいつも亡き父のことを思い出します。亡くなって、火葬場に亡骸を運ぶときに、父の生家の近くに美しい菜の花畑がひろがっていたのです。母も同じ想いだったようで、しみじみと「お父さんのことを思い出すわ」と言っていました。この長崎鼻に限らず、今回のドライブでは途中、多くの菜の花畑を目にしました。

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そして、こちらが江口章子の歌碑

ふるさとの
  香々地にかへり 泣かむものか
    生まれし砂に 顔はあてつつ

彼女の生涯は、文学的な才能に恵まれながらも、所謂、昔ながらの「家庭」という枠には収まりきれず「恋多き女性」の人生を送った人ならではの壮絶なものとも言ってよいもので、晩年は精神を病んだりしているのですが、この故郷を思う歌にも、彼女の気性の激しさが見て取れます。とはいえ、何とも言いようのない気持ちにさせる歌です。私は、母が語る彼女の生涯に耳を傾けながら、この歌人の人生に思いを馳せました。

江口章子は、
1988年、大分県西国東郡(現杵築市)生まれ。
1904年、大分県立第一高等女学校入学。
1906年、女学校で見合いをして結婚。大分市に新居。
1912年、夫の不行跡に悩み出奔、平塚らいてうを頼る。後に北原白秋を知る。
1913年、三浦三崎に白秋をたずね、城ヶ島へ同行。『城ヶ島の雨』はその時に作詩される。章子、出奔の詫を入れ夫の元に帰る。
1915年、協議離婚。単身上京し「青鞜社」の仕事をする。翌年白秋と同居。
1918年、「新潮」に『妻の観たる北原白秋』を書く。この頃から章子の文芸活動が活発になる。
1919年、北原白秋と婚姻届出。1920年、白秋の『雀の生活』の跋文を書く。「木菟の家」の新館建築に尽力。5月に白秋と離婚。別府に帰り「銅御殿」(あかがねごてん)に柳原白蓮をたずね、少時そこに住む。
1921年、京都大徳寺に入る。
1923年、一休寺住職と再婚し京都に移るが家を出て上京。関東大震災にあう。
1927年、中村戒仙と同居。
1928年、詩文集『女人山居』出版。
1930年5月 死の約束をしていた生田春月が瀬戸内海で投身自殺、悲歎にくれる。10月、中村戒仙と婚姻届出。この頃から神経を病む。
1931年、発病。京大精神科に入院し退院。
1933年、法要時に裸身で座禅をくむ。入院。
1934年、詩集『追分の心』出版。
1937年、脳溢血で半身不随となる。
1938年、中村戒仙と離婚。
1939年、卜部鉄心と同居。以降、脳溢血を繰り返し、
1946年、脳軟化症で永眠。
(末永文子著「城ヶ島の雨」からの引用。一部加筆、改行等の処理を行っています)

今度は国東半島の東側を走った後、国道10号に入り、実家のある杵築に向かいました。そして途中、山香町には昔よく通った「山香温泉センター」に寄ってみることにしました(以前、この「山香温泉センター」について書いた記事はこちらになります→https://syoso-chunen.blog.ss-blog.jp/2011-12-12-1。ここは一見、何の変哲もない共同浴場のように見えますが、そこに湧く温泉は隠れた名湯として一部の人には良く知られているものです。多分、私も以前は帰省の度に良く通ったものですが、最近はめっきりご無沙汰となってしまっていました。ご存じの方も多いかと思いますが、今、杵築市は深刻な財政難に陥っていまして、この「山香温泉センター」も緊縮財政のため閉鎖されると聞き、とても心配していました。訪れてみると営業しており、係の方に訊いてみると今後も閉鎖はせず、営業を続けるようになったとのこと。本当に良かったです。ここの湯は濃く濁った色をしていて、塩分と共に鉄分を多く含んでいます。係の方によると150年近くの歴史を誇る温泉とのことで、鄙びたその雰囲気といい、まさに名湯といってよいかと思います。

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こちらが「山香温泉センター」。ただの共同浴場のようですが、れっきとした温泉風呂です

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こちらが浴場(男子用)の様子。なんとも鄙びた雰囲気ながら、その湯質は素晴らしいものです。

せっかくだからと、私は久しぶりにこの温泉に入りました。いやあ、本当に気持ちの良いお湯でした。こうして私と母の半日ドライブは終わりました。今回は、いつも訪れている国東市のジャズ喫茶店「艸艸庵(そうそうあん)」等へは再訪が叶いませんでしたが、それでも天気に恵まれた、気持ちの良いドライブとなりました。


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久しぶりに九州の実家に帰省しました(1) [旅をしている]

先週の金曜日から今週の月曜日まで、久しぶりに九州、大分にある実家に帰省しました。ちょうど都内のホテルの日本料理屋で開かれた姪孫のお食い初めの食事会に出席するために上京していた、今年86歳になる母が帰るタイミングに合わせて、母の付き添いも兼ねて一緒に帰ったという訳です。

もう、何回か前の記事で書いていますが、私自身はこの実家に住んだことがありませんので地縁といったものはありません。私にとって、この大分の実家はあくまでも祖父母の住んでいた家という印象しかないのですが、もう母も長く(30年近く)、この昔ながらの築100年を超える典型的な田舎家に住んでいることもあり、こうして何回も帰省するうちに、それなりの情みたいなものが私の中で育ってきている事も事実です。

帰るや否や、さっそく、今年になって買い換えたイギリス製の小型スピーカー(Royd TOPAZ)の音を確かめるべく、離れの二階、冬の間、母が寝室代わりにしている部屋に向かいました(スピーカーを買い換えるに至った経緯についてはこちらの以前の記事をご覧ください→https://syoso-chunen.blog.ss-blog.jp/2020-01-14。私が最初にかけたレコードは、イングリット・ヘブラー(Ingrid Haebler 1926年~)の演奏するモーツァルトのピアノ協奏曲第27番(1959年録音の旧盤)だったのですが、小さなスピーカーから出るその見事な音楽性溢れる「音」に驚かされました。これは素晴らしいですね。解像度が高いというよりかは、雰囲気で聴かせるタイプかな? とはいえ出てくる音はぼやけてなく、しっかりとしています。慌てて、今度はビル・エバンス(Bill Evans 1929~1980年)の、1977年のアルバム「You Must Believe in Spring 」をかけてみました。これも、とても良い雰囲気で鳴らしています。このスピーカー、本当に当たりだったようです。

しかしながら、接続しているCDレシーバー(Sharp SD-CX11)はCD部分が壊れてしまっていますし、レコードプレーヤー(SONY Sony PS-V800)も、ターンテーブルが回りだすと、モーターからノイズを拾ってしまうようで、ボリュームを上げると低い「ボー」という雑音がスピーカーから聞こえてきます(泣)。

CDレシーバーの問題は、前から母から聞いていたので、帰省する前にネットオークションで、中古の「ピツク新品・ベルト新品・グリスアツプ済み」のKENWOODのCDレシーバー「R-K711」を一万円程で落札、実家に送ってもらっていました。それが土曜日に到着したので、これを利用、レコードプレーヤーは母屋のリビングで使っていたオーディオテクニカ「AT-PL300」にとりあえず交換して、これで何とか再生環境を整えることができました。

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こちらが今回、新たに用意したKENWOODのCDレシーバー「R-K711」。私は自宅1階のリビングで同じKENWOODのレシーバー「R-K1000‐N」を長くメインシステムのアンプとして使っていることもあり、操作やセッティングにおいて困ることはありませんでした。この「R-K711」はとても良いCDレシーバーだと思います。「R-K1000‐N」と同様に「AUTO ROOM EQ」機能を備えており、付属のマイクを使って、スピーカーとリスニングポイントとの間の理想的な音場設定を自動でセッティングしてくれます。今回もこの機能を使ってセッティングを行いました。

母からはこんなに良い音なら、寝室に置くのは、余りに勿体ないとのことで、母が日中、長く過ごす離れのピアノを置いている部屋に移したいとのこと、これも土曜日に別府のリサイクルショップで五千円程で買ったオーディオラックを、ピアノの部屋に置き、これらのオーディオ機器をセッティングして、これで、なんとか母の思い通りのオーディオ再生環境が整いました。

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こちらが離れの一階に設置したオーディオ機器の様子。なかなかコンパクトにまとまっていますが、聴こえてくる音はまさしく本物です。リサイクルショップで衝動買いしてしまったオーディオラックも、こうしてみるとうまくマッチしています。良い買い物となったようです。

この、離れの一階の部屋に設置された新しいオーディオセットで、いろいろとCDやレコードをかけて楽しんでみたのですが、とても素晴らしい音で、私たちを喜ばせました。当分の間はこれで大丈夫でしょう。

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こちらが、離れの1階の部屋の様子。部屋も片付けないまま、写真を撮ってしまったので、ちょっと汚くて申し訳ございません。この部屋にはグランドピアノ一台、電子ピアノ一台、テーブルセットと本棚、そして今回設置したオーディオセットが置かれています。

本当は、以前(というか10年近く前に)ネットオークションで落札したまま実家に置きっぱなしで、使っていなかった別の古いレコードプレーヤー、テクニクスのダイレクトドライブリニアトラッキングフルオートプレイヤー「SL-DL1」を使おうとしたのですが、梱包を解いて、セッティングしてみたところ、駆動ベルトの劣化等の不具合があり、修理しないと使えなくなっていたので、今回は残念ながら使用を諦めました。

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こちらが今回、設置を諦めたテクニクスのダイレクトドライブリニアトラッキングフルオートプレイヤー「SL-DL1」

次に帰省した時には、このレコードプレーヤを(自分で)修理して使えるようにして繋ごうと思っています。また(アンテナ代わりのリード線を使っていることもあって)CDレシーバーのFMの受信状況もあまり芳しくないので、きちんとアンテナも整備し、この離れのオーディオシステムを更にグレードアップしたいと考えています。

今回は、結局、スピーカーに加え、CDレシーバーも新たに整備済の完動品に代えることとなりましたが、どちらも期待を上回る良い結果となり、ホッとしています。母がこのシステムで音楽を楽しんで聴いてくれることを願うばかりです。


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16~18世紀のリュート曲が収められたCDを聴きました [音楽を聴いている]

一昨日は朝から信濃町の慶應義塾大学病院で人間ドックを受けました。検査の後、病院内の二号館11階で帝国ホテルがやっているレストラン「ザ・パーク」で昼食を取り、その後、内科の先生から診断結果についてお話を伺うと、今日の用事は全て終了です(実はこの日、会社はお休みを頂いていたのです)。せっかくなので、その後、新宿まで足を延ばして、クラシック音楽専門の中古CD・レコードショップ(ディスクユニオン新宿クラシック館)で、久しぶりに中古CD・レコードを物色してみました。結局、中古レコード三枚、中古CD二枚を購入してしまったのですが(汗)、今日はその内の一枚、ドイツ、フランクフルト出身のリュート奏者、ルッツ・キルヒホーフ(Lutz Kirchhof 1953年~)が1988年に録音した「The Lute in Dance and Dream」と名付けられたCDを紹介したいと思います。

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こちらが今回入手したCDであるルッツ・キルヒホーフの「The Lute in Dance and Dream」

このCDは副題に「Masterpieces for Lute.16th-18th Century」とある通り、16世紀から18世紀のイタリア、スペイン、イギリス、ドイツ、フランスのリュートの名曲を収めたCDです。自室でのんびりしながら聴いてたのですが、その中の一曲の演奏に思わず耳をそばだてることとなりました。それはイングランドの作曲家、リュート奏者であったジョン・ダウランド(John Dowland 1563~1626年2月20日)の「A Dream」という曲です。なんて、素晴らしい曲であり演奏なのでしょう。特に、控え目ながらも情感のこもったキルヒホーフの演奏は、まさしくこの曲の演奏の決定版といってよいものかと思います。

バッハより前の時代のリュートやクラブサン(チェンバロ)曲は、演奏者によって、(同じ曲でも)まったく別の曲に聴こえたりするのが魅力ですよね。作曲者と演奏者の立場が対等というのか、演奏者の解釈次第でまったく曲の印象が変わります。そんなこともあって、だれの演奏で曲を楽しむのかが、聴く方にとっての大きな楽しみだったりします。

この演奏を聴いた後、Sportifyで検索して、リュート奏者の神様とも言うべき、アメリカ・ニューヨーク生まれのホプキンソン・スミス(Hopkinson Smith 1946年~)の演奏も聴いてみたのですが、私にとっては(この曲に限っては)キルヒホーフの演奏の方がしっくりきます。


こちらはYoutubeにアップされているJuliane BergemannのギターによるJohn Dowland "A Dream"。キルヒホーフに似たアプローチでの演奏となっています。

これ以外にも、このCDにはイタリア初期バロックの作曲家、カプスペルガーやフランスの作曲家、ゴーティエやムートンの曲、ドイツのヴァイスの曲等も収められていて、とてもお得感のあるアンソロジーとなっています。

久しぶりにリュートの典雅で内省的な調べに、身を預けながら、至福の時間を過ごすことができました。


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