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入院していた病院から退院した元同僚の女性を囲んで食事会をしました [考えている]

先週の土曜日の夜、病院から退院した元同僚(女性)を囲んで、ささやかな食事会をしました。彼女は現在48歳、1998年から2006年、そして2018年から2019年までの、のべ8年11か月もの長い間、私の同僚、部下として一緒に仕事をし、そして(数えきれないほど)何回となく一緒にお酒を飲んだ仲間です。40代半ばで癌におかされ、一旦は快方に向かったものの再発し、何度も入退院を繰り返しながら闘病生活を送ってきました。

このコロナ禍の中、入院している限りは家族との面会もままならない上、これ以上、病院の方で行える治療も無くなったとのことで、先週の金曜日に退院、翌日の土曜日に彼女と親しい仲間たち五人と、こうして食事会を開いてくれました。お店は彼女が常連だった目黒のこじんまりしたイタリア料理店で、長い階段の途中にあります。車椅子から降りた彼女は、夫に支えられながら階段を下り、お店に到着しました。

これまでLINEを使って連絡を取り合ってはいたものの、実際に会うのは本当に久しぶりです。彼女は少し痩せたように感じられた(元々本当に細いのです)ものの、以前と変わらない笑顔で、お店が用意してくれた前菜やパスタを口にしています。私は、最初、どう接してよいか分からなかったのですが、いつも通りの接し方で過ごそうと思い直し、初めてお会いした彼女の夫と挨拶を交わすと、お互いの近況を報告しあったり、思い出話に花を咲かせながら30分ほどの短い時間はありましたが、途中、(彼女がこれまでの自らの病状の推移を説明してくれた時には)堪えきれずに泣いたりしてしまいながらも、一緒に楽しく過ごしました。

彼女は会社にいたころ(彼女はとても優秀かつ事務処理能力の高い女性でした)から、次の人生を見据えて勉強をし(働きながら大学院で学び、経営学修士の学位を取得)、キャリアコンサルタントや中小企業診断士、さらには社労士までもの資格を取り、退職後は自らコンサルティング会社を起業したりと、本当に真摯に自身の人生に向かい合っていました。そんな彼女が、何故、こんな目にあわなければならないのか、一体、誰にその怒りをぶつければよいのか、そして彼女自身が一番感じている悔しさを思うと、何ともやり切れない思いに囚われてしまいます。彼女との30分の最後の晩餐はそれこそ、まるで夢のような、奇跡ともいえる時間でしたが、それも彼女の命をかけた、必死の頑張りで、こうして実現したものなのです。この日の彼女は余りにも美し過ぎました。癌によって、自身の防御機能をほぼ破壊されてしまった彼女ですが、逆にそのせいで彼女の「命」そのものがむき出しになっていて、その狂おしいほどの輝きが私にははっきりと、そしてひときわ眩しく見えてしまうのです。それは生まれたばかりの赤ちゃんの、命そのものの姿と全く変わらない輝きで私を打ちのめしました。

彼女と夫が先に帰り、その姿が見えなくなるまで見送った後、残された私たちはお店が用意してくれた料理を頂きながら(お店のマスターと従業員の方も号泣されていました)、彼女との思い出を語り合いました。それは、まるでいつもの会社の内輪の宴席のようでしたが、どこか頭の一部が麻痺してしまったような感覚を皆が覚えていたかと思います。ワインを痛飲し、べろべろになって帰宅すると、妻が心配して待っていてくれました。私はこの日に起きたことを妻に伝えた後、泥のように眠りました。

翌日の日曜日、心配した妻が私を花見に連れ出してくれたのですが、いつも、その美しさに心奪われる桜の花が、その日に限っては何とも味気なく、空々しいものに感じられてしかたがなかったです。そして、この土曜日の会食以降、私は頭のどこかで常に彼女のことを考えています。いや「考えている」といった論理的なものではなく、ぼんやりと思っているというか、どこか心ここにあらずといった感じというのが正確かと思います。なぜ、彼女がこんな目にあわなければならないのか、私には全く分かりません。多分、この問いそのものが、究極的には意味のないものなのでしょう。そして、あの時、私が見た彼女の「命」の恐ろしくピュアな輝きは、私の心の中に自分でもそれが何だか説明できない刻印を遺すと共に、私の心の一部を麻痺させてしまった、そんな気分に囚われています。

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翌日の日曜日、横浜の三ッ池公園で妻と一緒に見た桜の花。ソメイヨシノが満開に咲き誇っていました。

彼女は今週の水曜日にホスピスに入所しました。多分、もう会えないかと思います。そして私は、ラインでの彼女からの連絡をただただ待ち続けています。

(2022年4月4日追記)
昨日、彼女から連絡があり、ホスピスに来て落ち着き、ようやく食べれるようになってきたとのこと。残念ながら面会は10人までの事前登録制で(彼女の)家族親族で一杯になってしまっていて、私が面会することは叶いませんが、彼女が心と体の平安を得て、ゆっくり、のんびりと暮らしてくれることを祈るばかりです。

(2022年4月18日追記)
4月14日未明に彼女が亡くなったとの連絡を受けました。享年48歳。若すぎます。彼女がホスピスに入った後に、一人の会社の同僚(女性)がお見舞いに行く機会を得たのですが、その時に彼女は「元気だったらこんな事業をしたかったんだ」と明るい声で楽しそうに同僚に話してくれたそうです。余りにも可哀想すぎます。今はただただ彼女の死を悼む毎日です。21日に通夜、そして翌22日に告別式とのことで、私はどちらも参列するつもりです。


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リヒテルが1991年に遺したバッハの諸作品の録音について(3)  [私の好きなピアニスト]

前々回、そして前回の記事で「リヒテルが1991年に遺したバッハの諸作品の録音について」と題した記事を投稿しておりますが、今回はフィリップス盤、ストラディバリウス盤に続いて、Live Classicsやその他のレーベルから出ているものについてご紹介したいと思います。

Live Classicsからは、1991年11月2日のオランダと同年5月22日、7月1日のモスクワ、チャイコフスキー・コンサートホールでのライブ音源がCD2枚に纏められています。オランダでのライブからはソナタ(BMV963)、トッカータ第1番、カプッチョ(BMV993)、四つのデュエット、イタリア協奏曲とファンタジア、モスクワでのライブからはカプッチョ(BMV992)とフランス組曲第2、4、6番の演奏が収録されていて、これらは録音状態も良いもので、ライブならではの緊張感に満ちた、素晴らしい演奏です。特にフランス組曲の方は聴き進めるほどに、どんどん気分が高まってくるような演奏となっていて、強い感動を覚えるものとなっています。

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こちらがLive Classics盤(CD2枚)

これとは別にGREAT HALLというレーベルからは1991年5月20日のモスクワ、チャイコフスキー・コンサートホールでのライブから、イギリス組曲第1, 3, 4, 6番がCD2枚に纏められて発売されているのですが、こちらは何故か残響が少なく、デッドな感じの録音となっていて状態があまり良くないので(私はこの演奏をインターネット音楽配信サービス「Spotify」で聴きました)、こちらを聴くよりフィリップス盤、ストラディバリウス盤での同曲の演奏の方がはるかに聴きやすく、良いかと思います。

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こちらがGREAT HALL盤(CD2枚組)

以上が私が知る限りのリヒテルが1991年に遺したバッハの諸作品の録音となります。晩年のリヒテルのバッハ演奏は、なんと言えばよいのか「神性」ともいうべきものに満ちた素晴らしいものばかりです。これらは人類の貴重な芸術遺産として長く伝えられるべきものだと思います。


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リヒテルが1991年に遺したバッハの諸作品の録音について(2) [私の好きなピアニスト]

前の記事から「リヒテルが1991年に遺したバッハの諸作品の録音について」と題した記事を投稿しておりますが、前回のフィリップス盤に続いて今回はストラディバリウス盤についてご紹介したいと思います。イタリアのクラシック音楽レーベル、ストラディバリウスからは、チェコやハンガリー、スイス等でのライブ音源やイタリアでのスタジオ録音がCD(四枚)に纏められています。どの盤も録音も良く、入手は少々困難なものの、フィリップス盤と同様、万人にお勧めできる録音となっています。

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こちらがストラディバリウス盤の四枚

収録されている曲はフィリップス盤を重なるもの(録音日時は異なります)が多いのですが、1991年6月にイタリアでスタジオ録音されたソナタ三曲(BWV 963,964,966)とカプッチョ(BWV 993)、イギリス組曲第一番といった、フィリップス盤では収録されていないバッハ作品の演奏を聴くことが出来るのが特徴です。

中でも、「Sviatoslav Richter Un Homme DE Concert 3」に収められている、(先に述べた)ソナタ三曲(BWV 963,964,966)とカプッチョ(BWV 993)の演奏、そして「Sviatoslav Richter Un Homme DE Concert 5」に収められている、1991年4月のチェコスロバキアでのライブ音源であるイギリス組曲第4、6番の演奏は、特に素晴らしいものです。例えばイギリス組曲第4、6番のサラバンド、第6番のドゥーブルといった、静かな曲におけるリヒテルの落ち着いた演奏は、まさに「深遠」という言葉がぴったりなもので、聴いているものを深い瞑想へと誘ってくれます。その余りに広大な音世界、沈黙こそが語る音楽表現には深い感動を覚えます。

是非、機会を見つけてこれらの演奏を聴いてもらいたいと思います。ここには、まさにバッハのピアノ演奏の極致が示されています。


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リヒテルが1991年に遺したバッハの諸作品の録音について(1) [私の好きなピアニスト]

以前の記事でも簡単に紹介しましたが(その時の記事はこちら→https://syoso-chunen.blog.ss-blog.jp/2022-03-17、20世紀を代表する名ピアニストであるスヴャトスラフ・リヒテル(Sviatoslav Richter 1915〜1997年)は、1990年以降、リサイタルでの演目にバッハのフランス組曲、イギリス組曲をはじめとするバッハの諸作品を頻繁に加えるようになりました。特に1991年(当時、リヒテルは75〜76歳)にはバッハの作品を欧州各地やモスクワの演奏会で集中的に演奏し、多くのライブ録音やスタジオ録音が遺されています。

これらの演奏は、フィリップス、ストラディバリウス、そしてLive Classicsなどのレーベルから出ているのですが、今回はフィリップス盤についてご紹介したいと思います。フィリップスでは、ドイツのボン/ロランドセック(1991年3月)とノイマルクト(1991年11月)でのライブ録音がCD三枚に纏められています。たしかこのCDセットを入手したのは(私がドイツに赴任していた)1990年代半ばかと思うのですが、それ以来、25年以上の長きに亘って、今でも私(そして妻)の愛聴盤となっています。

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こちらが私が持っている「Richter The Authorised Recordings BACH」(CD三枚組、フィリップス)。現在は分売もされています。

この録音は状態も良く、また、入手しやすいこともあって、晩年のリヒテルのバッハ演奏を聴くのに最適なものかと思います。イギリス組曲第3、4、6番、フランス組曲第2、4、6番(リヒテルはフランス組曲についてはなぜか偶数番の曲のみを演奏しています。なぜ奇数番号の曲を演奏しなかったのかは謎のままです。)、そしてトッカータ(2曲)、ファンタジア、イタリア協奏曲、フランス風序曲、四つのデュエットが収められているのですが、どれも、本当に素晴らしい演奏でバッハの深淵な音楽世界を存分に堪能することができます。

リヒテルのバッハ演奏の特徴といえば、やはり、その超広大なスケール感です。聴いているうちに自身がまるで宇宙空間に放り出されているような不思議な感覚をいつも味わいます。こんな気分を感じさせるのはリヒテルだけです。バッハのピアノ演奏における音楽芸術の極致といって良いかと思います。もうこれまで何十回も聴いているかと思うのですが、まったく飽くことがありません。

是非一度、これらのリヒテルの録音を聴いてみて下さい。クラシック音楽を鑑賞して本当に良かったと実感されるかと思います。


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横浜駅近くで靴を修理して貰った後、桜木町のジャズ喫茶店で宮下奈都著「羊と鋼の森」を読み終えました [本を読んでいる]

昨日は午後から外出の機会を得たので、横浜駅近くの「ミスターミニット」で革靴を修理してもらいました。この革靴、たしか2年程前に横浜の高島屋で購入した「リーガル」のものなのですが、踵のラバーがかなりすり減ってしまっていて、これ以上履き続けると土台の部分まで傷つけてしまいそうになっていました。なるべく早く修理したいと思っていたので、この機会にと、修理(と靴磨き)して貰ったという訳です。

修理は20分程で終わり、新たに踵に新たにビブラムソールがはられた綺麗な靴を履いて、今度は桜木町へと向かいます。ふうっ、なんだか、些細なことながらも、喉につっかえていたことが解決して、とても良い気分です。こんな事だったら、もっと早くやって貰えば良かったなどと思いながら、そそくさと電車に乗り、次の桜木町駅で下車しました。

この日は夕方6時から桜木町の寿司屋で、30年来の友人と親交を温める予定となっています。まだ待ち合わせの時間まで1時間半強あります。さて、どうやって時間を潰そうかと思っていると、ふと、近くに昔通っていたジャズ喫茶店「ダウンビート」があったことを思い出しました。このお店は、20年近く前にはよく通っていてウィスキーボトルをキープしたりもしていたのですが、いつの間にか足が遠のいてしまっていました。

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桜木町駅近く、野毛の雑居ビルの2階にある、1956年創業の老舗ジャズ喫茶店「ダウンビート」

お店に続く階段を上って中に入りました。たしか店内は、左側のスピーカー前のスペースはお喋り禁止、右側のカウンターはお喋りOKとなっていたかと思うので、今回は初めて左側のスピーカー前の椅子に座ってコーヒーを注文し、お店自慢のスピーカー「ALTEC A7」から流れるジャズに耳を傾けます。いやあ、本格的なジャズ喫茶店らしい、なんとも良い音です。そして嬉しいことに、なにしろ音がでかいです。これは素晴らしいですね。「(スピーカー前のスペースの)居心地がこんなに良いことが分かっていれば、このお店、もっと前から何度も来たのになぁ…」などと勝手に思いながら、読みかけの文庫本を読み始めました。

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ジャズ喫茶店「ダウンビート」、入って左側の店内の様子

いかにもジャズが好きそうな店員がかけるホレス・シルバー・クインテット+JJ,ジョンソン「Cape Verdean Blues」やチャールズ・ロイド「Montreux 82」の演奏の素晴らしさに、時々本の頁をめくる手を休めて聴き入ります。私にとっては、まさに至福の時間を過ごすことができました。

この日、店内で読み終えたのは宮下奈都著「羊と鋼の森」(文春文庫)です。この本は会社の仲間から勧められて貸してもらったものです。一人前のピアノの調律師を目指す若者が個性豊かな先輩たちや双子の姉妹に囲まれながら成長していく物語でして、2016年の第13回本屋大賞における大賞受賞作とのこと。ハートフルな佳作といった印象を受けました。たまにはこうして日本の小説を飲むのも良いものです。少し心が温かくなりました。

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宮下奈都著「羊と鋼の森」(文春文庫)。羊と鋼はピアノ線の素材のことでもあります。

さあ、もう、待ち合わせの時間です。コーヒー代650円を払って約束していた寿司屋へと向かいました。こうしてこの日、私は充実した一日を過ごすことができました。


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リヒテルについての思い出 [私の好きなピアニスト]

旧ソビエト連邦のピアニスト(とはいえリヒテルの父はドイツ人でして、母はロシア人ですが彼自身はウクライナの生まれです)であるスヴャトスラフ・リヒテル(Sviatoslav Richter 1915〜1997年)が、その晩年となる1991年(当時、リヒテルは75〜76歳)に遺したスタジオ録音や、同年に欧州各地やモスクワの演奏会にてバッハの諸作品の多くのCD化されたライブ音源を、最近になって良く聴いています。どれも本当に素晴らしいものばかりでして、これらについては今後、記事で紹介しようと思っているのですが、今回は、アルトゥール・ルービンシュタイン(Arthur Rubinstein 1887〜1982年)、リヒテルと同じウクライナ生まれのウラディミール・ホロヴィッツ(Vladimir Horowitz 1903〜1989年)と並んで、20世紀最高のピアニストと称されるスヴャトスラフ・リヒテルについての、私の極個人的な思い出を二つほど紹介したいと思います。

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スヴャトスラフ・リヒテル(Sviatoslav Richter 1915〜1997年)のポートレート。これはWikipediaに載っているものです。

一つは1984年2月28日、リヒテルが東京都世田谷区太子堂にある昭和女子大学人見記念講堂でコンサートを行ったとき(その時の演目はシマノフスキーのピアノ・ソナタ第2番とドビュッシーの前奏曲第1巻からの抜粋だったようです)のことです。私はまだ大学生でして音楽事務所のバイトとして会場の設営や運営の手伝いをしたのですが、演奏を終え、会場を出ようとするリヒテルとばったり遭い、そこで握手をさせていただいたことがあります。彼の手は本当に大きく、握手をしたときの、とても柔らかくて温かい感触は今でも覚えています。

そして二つ目は1993年9月5日、私が31歳でドイツ、デュッセルドルフに赴任していたときに、デュッセルドルフにあるコンサートホール「トーンハレ」で、妻と共に最晩年のリヒテルのピアノリサイタルを聴いたとき(注)のことです。途中、バッハの曲(多分、「幻想曲、アダージョとフーガ ハ短調 BWV 906/968」だったかと思われます)を演奏していた時に、楽譜が頭から飛んでしまったのか、リヒテルが急に演奏を中断してしまうというハプニングがありました。リヒテルは、椅子から立ち上がり深々と頭を下げ、ドイツ語で観客に向かって謝った後、再度、同じ曲の演奏を再開しました。その再開後の超本気になったリヒテルの演奏の素晴らしかったこと。リヒテルの弾く音が次々とホールに宙に舞いながら、そして、それらが見事に重なり合った一つの音宇宙を目の前で、まるで立体的に視ているような不思議な感覚に囚われたのは、この時だけです。

(注)ちなみにその時のプログラムは
バッハ 幻想曲 ハ短調 BWV.921
バッハ 前奏曲、フーガとアレグロ 変ホ長調 BWV.998
バッハ 幻想曲、アダージョとフーガ ハ短調 BWV.906/968
ベートーヴェン ピアノ・ソナタ ハ短調 作品13 「悲愴」
シューベルト さすらい人幻想曲
だったようです。リヒテルのコンサート情報につきましては、TANUPON氏「リヒテルさんのお部屋」(http://www.ne.jp/asahi/ponpoko/tanuki/richter_room.htm)の「リヒテルさん年表」を参照、参考にさせて頂きました。本当にありがとうございました。

当時のトーンハレは、元々プラネタリウムだったこともあって、天井が非常に高く、コンサートホールとしては音響的には少々問題があったのですが(その後、2005年に改築、改装され音響についても素晴らしいものになったと聞いています)、それが逆に、上層階で聴いていた私に、このような体験をさせたのかもしれません。繰り返しになってしまいますが、本当に目の前でそれぞれの音が、まるで天使のように飛び交いながら、私の目の前で舞い続けたように感じられました。あの時のゾクゾクするような、そしてあまりの凄さに思わず叫びそうになった感覚だけは忘れることはできません。

こうして昔の思い出を辿ってみると、私にとってリヒテルが特別なピアニストであったことに改めて気付かされます。ショパン、シューマン、シューベルトもさることながら、晩年の彼が弾くバッハは、誰もが辿り着くことができない、一つのピアノ芸術の極地を示していると思います。リヒテルのバッハ演奏を知り、こうして遺された録音を聴くことができることは、私の一生の喜びです。


こちらはYoutubeにアップされている「Bach - Prelude, Fugue & Allegro BWV 998 - Richter Bonn 1993」。1993年9月7日、ドイツ、ボンのベートーヴェンハウスでのライブ音源です。


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三回目のコロナワクチンの接種を受けました [体のあちこちにがたが来てます]

今日、勤務先にて三回目となるコロナワクチンの接種を受けました。私の場合、全て職域接種ということもあり、一回目、二回目と同様、三回目もモデルナ製のワクチンとなり、今回の接種量は前回接種した量の半分となります。

午前中に接種を受けたのですが、午後5時半現在、大きな副反応は出ていません。ちょっと熱っぽくなってきそうな気もしたので、念のため解熱剤となる「ナロン顆粒」を午後服用しました。私の場合、厚生労働省から難病指定されている多発性筋炎を患っており、合併症として間質性肺炎も発症していることから、主治医からはコロナに感染した場合の重病化リスクを少しでも減らすために必ずワクチン接種を受けるよう、指導されていました。こうして無事、接種を終えて少しホッとしています。

コロナ禍はまだ続くようですし、これからも定期的にこうしてワクチン接種を受けることになるのでしょう。今回、もし強い副反応が出た場合は追記にて記載しようと思います。今日は早く寝ようっと。

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モデルナ製のワクチン


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還暦を過ぎてから、膝の調子がおかしくなっています [体のあちこちにがたが来てます]

タイトルの通りの、なんとも情けない話で恐縮ですが、ここ三週間ほど膝の調子があまり良くありません。

最初は左膝に違和感を感じ、うまく曲げられないというか、痛みを感じるようになり、慌てて自宅近くの整形外科に行って診てもらったのですが、レントゲン写真の結果は骨に異常はないとのことで、暫く様子をみることになりました。夜、寝ていても左足を伸ばすと膝の裏が引き攣れるような弱い痛みを感じます。自宅の階段を降りるのも、なんだか覚束ない感じになってしまっています。最近では右膝の方まで違和感を覚えるようになってしまいました。

前にも書きましたが、私は自宅の三階、4畳半程の屋根裏部屋に机やベッドを置いて自室代わりにつかっています。屋根裏部屋ということで天井が低いこともあって、いつも低めの小さな机に向かって胡坐座りをしながら、コロナ禍以降、一日中、テレワークをしていました。ところが今では左足が曲げられず、胡坐座りすらも辛い状況となっています。医者によると、このような座り方は膝に特に良くないとのことで、最近はなるべく会社に出社して、執務室で椅子に座って机で仕事をするようにしています。

亡き父も歳をとってからはリウマチによる膝の不調に悩まされ、人工関節を入れたりしながら不自由な生活を送っていましたので、私もそうなってしまうかも知れないと思うと不安です。骨には異常がないとのことですが、私は50代半ばに多発性筋炎を発症したせいで、両太ももの筋肉がとても少なくなっていて、今では走ったりすることは難しい状況となっています(私の現在の体重は61kgと標準範囲内に収まっているので、肥満が要因とは考えづらいです)。もしかしたら(多発性筋炎を押えるための)ステロイドの服用量が最近になって減ったことが関係している可能性もあります(最悪、再発しているかもしれません)。次回、通院した時には主治医に相談してみなければと思っています。

膝の不調とは関係はないとは思いますが、陰部によくわからない吹き出物が何か所か出来たりと、なんだか情けないことばかりがおきていて、自分が一気に老人っぽくなってしまったような気がします(涙)。ふうっ、こんな一中高年の体の不調を訴える記事になってしまって恐縮ですが、今の私の一番の不安です。とりあえず気持ちだけでも若く保たなければと自分を鼓舞する毎日です。


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「殿山泰司ベストエッセイ」を読みました [本を読んでいる]

先ほど、会社の執務室で「殿山泰司ベストエッセイ」(ちくま文庫)を読み終えました。前に横浜伊勢佐木町の古本屋で殿山泰司著「日本女地図」を買って、40年かそこらぶりに再読したことを書きましたが(その時の記事はこちら→https://syoso-chunen.blog.ss-blog.jp/2022-02-17、他の彼の著作を読んでみたいと思い、こうして図書館から借りてきたのです。

銀幕やテレビで一度目にしたら忘れられない眼光鋭い禿げ親父。日本映画史に輝く名バイプレイヤー殿山泰司は、名エッセイストとしても知られている。国家も戦争も蹴っとばせ。あなあきい魂全開だ!酒とジャズとミステリを、そして何より自由を愛し、サングラスとジーンズで街を闊歩した「三文役者」の精髄を集めた決定版。(以上、Amazon「商品の説明」からの引用です)

殿山泰司(とのやま たいじ 1915~1989年)は「兵庫県神戸市出身。中央区立泰明小学校、東京府立第三商業学校卒業。終戦後の日本映画界において独特の風貌で名脇役として活躍した。ジャズとミステリーをこよなく愛し、趣味を綴った著書も多数残している。また、波乱万丈なその人生は、映画化もされている」(以上、こちらは「Wikipedia」からの引用です)人でして、関東風おでんの老舗名店「お多幸」の創業者の息子(彼自身は店を継ぎませんでした)としても知られています。私のような中高年の方ならばテレビや映画で、その姿を一度は見た覚えがあるかと思います。ほんと、かなり偏屈でくせの強そうな感じがしながらも、一度笑うと、その素敵な笑顔に思わず引き込まれてしまう、そんな、名脇役で知られた俳優であり、エッセイストです。

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在りし日の殿山泰司氏

私は、今回、初めて彼のエッセイを纏めて読みました。悪く言えばクソジジイの遠吠えのような文章なのですが、何といえばよいか、その語り口の軽妙さにとても魅力を感じました。「昭和には、こういう人って、いたよなー」とつい、自身が感傷にふけってしまいそうになります。正直、なんだかとても羨ましいと思いました。読んでいると何故か勇気が湧いてきます。どのエッセイも、素晴らしい「生の讃歌」だと感じました。いやあ、読んでみて良かったです。

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「殿山泰司ベストエッセイ」(ちくま文庫)


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ジャズピアノを習い始めました(9)   [楽器を練習している]

昨年6月から習い始めたジャズピアノですが、細々と練習を続けています。今、練習している曲は「What a Wonderful World」「It's Only a Paper Moon」「Satin Doll」「Doxy」といったものでして、先週土曜日に受けたレッスンでは更に「Alice in Wonderland」も練習することになりました。「Alice in Wonderland」は私にとって、初めての三拍子の曲となります。徐々にではありますが、レパートリーも増えてきました。

今、主に練習していることは、これらの曲の各小節における4分音符相当分を三連符にした上で、最初の音に重きを置き、「タッタタッタ」もしくは「タタタ、タタタ」と口ずさみながら曲を弾くことです。そして次回からは、更に足で拍子を取りながら弾けるように練習することになります。いわゆる「Rhythm Training」ですね。ジャズにおけるリズムの基礎を学んでいるところと言えばよいかを思います。ですが、なかなかこれには苦労していまして、自身のリズムセンスの無さを痛感した次第です。それでもこの2ヶ月間ほどで、それなりに出来るようにはなってきているのが唯一の救いですね。「サブ・ディビジョン」「シンコペーション」「装飾音」といった奏法も練習しているものの、本格的な曲のアレンジといったところには、まだまったく至っていません。

曲の演奏以外でも、「Cycle of 5th(五度圏)」に慣れるためのハノンに似た音階練習や、F、E、C、B♭、Gから始まる様々なコードを続けて弾く練習。ダイアトニックコード、ノンダイアトニックコードを弾いたり、スケールや長三度と単三度の和音を続けて弾いてみたり、8種類のリズムパターンを弾く練習といった、様々な基礎的な練習も行っています。

練習は、一旦始めると約一時間程度はやるのですが、最初の30分が音階や和音、スケールを弾く基礎的な練習となり、残りの30分で曲の演奏を練習するというのがパターンになっています。このジャズ・ピアノの練習ですが、やり始めると楽しいのですが、始めるまでが億劫で億劫で、ついサボってしまったりしていますが、優しい先生による月に2回のレッスンが良い励みになっています。これからものんびりと続けていけたらなどと思っています。


こちらはYoutubeにアップされている「Alice In Wonderland by Bill Evans from 'The Complete Village Vanguard Recordings, 1961'」。この曲名を聴いて、まず最初に頭に浮かぶのは、やはりビル・エバンスの演奏です。


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