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還暦を迎えました [考えている]

私事になりますが、昨日の日曜日に還暦を迎えました。自分がまさか、60歳になってしまうなんて、嘘みたいです。嬉しくもありませんし、感慨深くもありませんが、それでも、なかなか重い事実を突きつけられているような気はします。残りの人生を、少しでも充実させ、自分にとって意義のあるものにしたいと思うばかりです。

妻と二人の娘たちはお金を出し合って、還暦の記念に腕時計をプレゼントしてくれました。「この予算の範囲内でパパの好きな時計を…」とのことで、私が選んだのはグランドセイコーのクォーツ式のシンプルな腕時計です。実用本位の時計で飽きのこないものをと思い、これを選びました。実は、この時計メーカーと妻の名前が英語名で同じなことも、この時計を選んだ理由の一つだったりします(汗)。

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こちらが、今回、私の還暦のお祝いに家族がプレゼントしてくれた「グランドセイコー ヘリテージ コレクション SBGP011」。クォーツ式の中でも世界トップクラスの精度(年差±10秒)を誇る腕時計となります。機械式と比較するとメンテナンスも遥かに楽ですし、ある意味、究極の実用腕時計ではないかと思います。このような腕時計を貰って、本当に嬉しいです。

家族が全員揃うのは土曜日でしたので、その日の夜にささやかな内輪のホームパーティを開いてもらいました。ビールを飲んだ後、日本酒は、先日、新潟出張したときに購入して冷蔵庫に冷やしておいた「鶴の友 大吟醸 上々の諸白」を飲んだのですが(購入した時の記事はこちら→https://syoso-chunen.blog.ss-blog.jp/archive/c2301938707-1、家族皆「美味しいお酒だねー」と言い合いながら、妻の用意したお刺身や貝の和え物などのおつまみを頂きました。

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こちらが「鶴の友 大吟醸 上々の諸白」。「穏やかで繊細な香りと非常に柔らかく, 落ち着いた味わいが特徴の大吟醸酒」という紹介をよくされているようですが、まさしくその通りとしか言いようのない、素晴らしいお酒でした。

そして翌日、誕生日となる日曜日には、数えの61歳は男性にとっては厄年にあたることから、妻と一緒に自宅近くの神社に出向き、厄払いの祈祷を受けました。ここは800年以上の歴史を有し、日本神社百選にも選ばれた由緒ある(私たちにとっての)氏神神社となります。ふうっ、これで厄払いも終え、とりあえず私の還暦の儀式はおしまいです。

さて、これからどーしましょうか?わたしとしては、なんとも抽象的な物言いになりますが、じっくりと腰を落ち着けて生きていければなー、などと思っています。本を読み、音楽を聴き、美術を鑑賞する。ジャズ・ピアノや自分の楽器「サルタリー」を弾けるように練習する。そして英語の勉強やヨガを続けながら、気晴らしに釣りをしたり、旅行をする。こうして文章を書く。こうした自分にとって大事なことを、いきあたりばったりにやるのではなく、ある程度の緩やかな計画性を持ちながら、バランスを取りつつやっていきたいと思うのです。それが私にとっての「充実した一日」であり、その連続こそが「悔いのない人生」へと繋がるのではないかなどと考えています。

これまで自身を振り返ってみると、やはり20年ごとに大きな節目を迎えているようです。これからの20年が少しでも充実した悔いのないものになるよう、落ち着いて生活していこうと考えています。

ちなみに、還暦を迎えたこともあり、このブログの名称をこれからどうするか(「中年男」から「中高年男」に変更する案など)考えたのですが、厚生労働省が「中年」の範囲を45歳〜64歳と想定していることを知り、それならばと、当分の間はこのままの「焦燥する中年男の日常」で続けることにします。今後とも、何卒宜しくお願いいたします。

新年あけましておめでとうございます [考えている]

新年あけましておめでとうございます。どなたがこのブログを読んでくれているのか想像もつきませんが(汗)、今年も宜しくお願いいたします。

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昨年の大晦日は、家族四人でNHKの紅白歌合戦を見ながら妻の作ったローストビーフをはじめとする料理に舌鼓を打ち、シャンパンやワイン、そしてハイボールを飲みながら過ごしました。

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大晦日の夜に家族で食べた料理

翌朝、元旦を迎え、自宅近くの割烹店から取り寄せた重箱を開け、妻が作った黒豆や酢蓮、数の子といったお節料理と共にお雑煮を食べた後、妻と長女と共に車で初詣へと出かけました。向かったのは東京、赤坂の豊川稲荷神社です。お参りを済ませた後、近くの和菓子屋「とらや」の喫茶コーナーで妻と長女はお汁粉、私は酒蒸し饅頭を頂きながらしばしの休息です。こうして元旦を過ごすのは二年ぶりですが、なんだかひどく久しぶりのような気がします。

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こちらが今年のお正月に食べたお節料理

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初詣で訪れた赤坂、豊川稲荷神社の様子。例年よりも参拝客が少ないように感じられました。やはりコロナ禍の影響かと思われます。

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初詣後、訪れた赤坂「とらや」本店と私が頂いた酒蒸し饅頭(お煎茶付き)

元旦の夜は、彼氏とのデートから帰ってきた次女も加わり、お節料理を頂きながら、家族四人での酒盛りの始まりです(汗)。お酒は、昨年末に私が銀座の松屋で購入しておいた日本酒「極上 白鷹(大吟醸純米)」を飲みました。このお酒は家族全員が大好きな、そして特別なお酒です。というのも義父母が赤坂で割烹を営んでいた時に、お客様に出していたお酒で、亡き父も大好きなお酒だったからです。華やかながらもしっとりと落ち着いた味はお節料理に本当にぴったりです。

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「極上 白鷹(大吟醸純米)」720ml

翌日(二日)は妻と長女は初売りへ(次女は百貨店勤務のため出勤)、私は家で箱根駅伝を観たり、撮り溜めしていた釣り番組を観たり、三日の夜に食べるカレーを仕込んだりしながら過ごし、三日は妻と長女、そして(この日は休みの)次女は朝から映画館に「劇場版 呪術廻戦 0」を観に出かけたので、暇を持て余した私は独り、近くの大型釣具店に行ってみて初売りコーナーをひやかしたりしながら、のんびりと過ごしました。

こうして私の今年のお正月三が日は過ぎていきました。妻と娘たちは初売りで、例によって服を買ったようですが、私も近くのショッピングモールでリュックを。そして大型釣具店で長靴を購入しました。これらを使って、昨年から始めた山登りや海釣りを今年も楽しみたいと思っています。そしてこれも昨年から習い始めたジャズピアノをしっかりと練習しよう等と思っています。今年が良い年になりますように。そして皆様のご健康とご多幸を、この場を借りてお祈りいたします。

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こちらが私が初売りで買ったKANGOLのリュック(収容容量は23l)。形はいたってノーマルなものです。初売り閉店セール(?)とのことで、販売価格の4割引きという破格値(四千円足らず)で購入することができました。抗菌抗臭とのことなので、山登りや海釣りの時に使おうと思っています。

2021年も、もう終わろうとしています [考えている]

もう明日はクリスマスイブ、そして一週間もすれば2021年も終わりを迎えることとなります。毎年、この時期になると私はいつも精神的に落ち込んでしまいます。「ああ、今年も無為に過ごしてしまった…」という後悔の念に苛まれるのです。

私は今、59歳、あと二か月もせずに還暦を迎えます。最近になって自身の知力・体力の低下も顕著になってきました。まず物忘れが多くなりました。人の名前が出てこないことなど、しょっちゅうです(涙)。そして、また、やはり体力が落ちています。(以前にも書きましたが)54歳の時に大病を患った時に足腰の筋力は落ちてしまったのですが、ヨガなどを続けている(最近、さぼり気味ですが)ものの、踏ん張りが効かなくなっている自分を痛感します。

今年になってから始めたことと言えば、ジャズピアノ、海釣り、そして山登りです。このうち特に山登りは体に良さそうです。今年は東京の高尾山に登りましたが、来年には神奈川の大山に、また仲間たちと一緒に登る計画を立てています。そして精神的な面で良かったのが海釣りです。堤防から、そしてボートや乗合船からの釣りを楽しんだのですが、(釣れようが釣れなかろうが)ぼーっと海を眺めているだけで、心が洗われるというか癒されます。そしてジャズピアノはボケ防止といったところでしょうか。

このコロナ禍の2年間、私は本をあまり読まなくなった代わりにアニメや漫画を楽しみました。とは言え、来年からはまた小説をじっくりと読んでみたいと思っています。前にも書きましたが、本って、読まなくなると、確実に自らの読解力・想像力の低下を招きます。それだけは避けたいと思っています。また、英語の勉強なども、後回しになってしまいました(汗)。なんでもコロナ禍のせいにしちゃうのはズルですよね。低きに流されてしまう自身の弱さを痛感する毎日です。

今年、一番辛かったのは友人たちとの別れでした。元の部下や仲間たちが転職して会社を去っていくのをただただ眺める日々は辛かったです。転職の相談を受けることも多かったのですが、結局、考え抜いた末に私はそうした仲間たち全てに転職を勧めました。自分が勤めている会社よりも別の会社に行った方が良いという結論を自ら導き出してしまい、自身の無力さ、情けなさを痛感します。転職した仲間たちは、今のところそれぞれ楽しくやっているようなのがせめてもの救いなのですが、それでも、どうして自身の勤める会社で、そうした仲間たちの働き甲斐と幸せを実現させてやれなかったのか、悔いが残ります。

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こちらは夕方、会社の執務室から眺めた東京の様子。年末の東京ならではの美しい風景です(空に白く見えるのは私の部屋の照明が窓ガラスに写り込んでいるものです)。遠くに富士山を望むことができます(写真を左クリックして頂ければ大きくしてみることができます)。

そして今年、お互い大学一年の時から40年近く、細々とではありますが交友を続けていた一人の女性との突然の別れは、特に辛いものでした。ある日、彼女の方からLINE上で、一方的に友だち登録を解除されたのですが、これまでいつも通りで何も変わったことが無かっただけにショックでした。彼女は以前、乳がんを患っていて、それは完治したはずなのですが、もしかしたら癌が再発したのではないかと心配しています。ショートメールで連絡を試みたのですが、残念ながら未だ返事はありません。

そういえば、最近、多くの仲間が癌になりました。完治した人もいれば今でも闘病生活を送っている人もいます。私にできるのはただ祈ることだけです。

会社の話に戻りますが、私自身も再来年、2023年の6月には、役員としての任期の終了を迎えます。続けて、この会社(や子会社)で働くことができるのかどうかは分かりません。老後の経済的な不安も抱えています。一つの会社で35年以上過ごした宮仕えの身としては、どうしたら良いか分からず、これも大きな不安だったりします。

そして今、一番、私と妻を悩ませているのは義父母の介護のことです。幸いなことに私の実母は遠く離れた大分で、一人元気に暮らしているのですが、妻の両親はここにきて認知症が更に進み、また体力の低下も激しく、一体、いつまで二人で元気に楽しく、今のマンションで暮らせるか、分からなくなってきています。妻と義父母の関係もぎくしゃくしがちで、妻の心労が絶えない様子なのが気がかりです。なんとか妻を支えてあげたいと思うものの、(力仕事といった手伝いはしていものの)私がしゃしゃりでることもできず、心配だけが募ります。

なんだか、悩みごとの勝手な吐露となってしまい恐縮です。とはいえ、私の、こうした暗い気持ちを、わずかながらでも救ってくれるのは、やはり音楽です。今もノルウェーのピアニスト、ホーカン・アウストボ(Håkon Austbø, 1948年~)の弾く、同じくノルウェーの作曲家、エドヴァルド・グリーグ(Edvard Grieg 1843~1907年)の抒情小曲集全集(CD三枚組 BRILLIANT CLASSICS)を聴きながら、この記事を書いているのですが、私の心を静かに癒してくれます。本当に有り難い、今は、この言葉しか思いつきません。


こちらがYoutubeにアップされている「Edvard Grieg, Lyrische Stücke, Books I, II, III & IV, complete, Håkon Austbø」

今年も自宅前の道端にハナニラの花が咲きました [考えている]

毎年春になると自宅前の道路端にハナニラの花が咲くのですが、今年も10日程前に一輪ながら可憐な花を咲かせました。私にとって、ハナニラは春の訪れを知らせる花です。そして5年前に私が難病である多発性筋炎を患い入院することになった時に、けなげに咲いているのを見つけたことを思い出します。

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こちらが今年自宅前の道端で咲いたハナニラ

以前、ハナニラについて私が書いた記事はこちらとなります
「今日から入院することとなりました」
 →https://syoso-chunen.blog.ss-blog.jp/2016-03-24
「今月で55歳になりました」
 →https://syoso-chunen.blog.ss-blog.jp/2017-02-27

ハナニラはネギ亜科ハナニラ属に属する多年草。 イフェイオン、ベツレヘムの星とも呼ばれる。 原産地はアルゼンチン(以上「Wikipedia」の解説文からの引用です)

とのことで花言葉は「悲しい別れ」「耐える愛」などといった、ちょっと寂しいものとなっています。ハナニラの花はどこか憂いを帯びていて、儚げなところからそうした花言葉が付いたものと考えられています。こうしてハナニラのことを調べているうちに「誕生花」というものがあることを(今更ながら)知りました。ハナニラですと、ちょうど一週間後の3月26日の誕生花、この日は姉の誕生日です。

そして、自分の誕生花が何なのかとても気になって調べてみると、なんと菜の花でした。花言葉は「快活な愛」「豊かな財力」という、あまり私にはこれまで縁がないながらも、とてもありがたいものでした(苦笑)。菜の花というと、私はいつも亡き父のことを思い出します。父は10年前の3月27日に病気で亡くなりましたが、ちょうどその時期、九州の実家近くでは菜の花が満開で、とても美しく咲いていたのです。葬儀場や火葬場までの道すがら、見事な菜の花畑が父を見送ってくれたことを今でも鮮明に覚えています。こうしたこともあって、母にとっても菜の花は特別な想いがあるようで、菜の花畑を見るたびに「おとうさんのことを思い出すわ」と言います。そんな私たちにとって特別な花が、実は私の誕生花だったことを知り、少し嬉しくなりました。

以前、菜の花について私が書いた記事はこちら
「父が他界しました(2)」
 →https://syoso-chunen.blog.ss-blog.jp/2011-04-08
「この10連休はひたすら家の片づけをしました」
 →https://syoso-chunen.blog.ss-blog.jp/2019-05-07-1
「久しぶりに九州の実家に帰省しました(2)」
 →https://syoso-chunen.blog.ss-blog.jp/2020-03-11

今年は父が亡くなって10年、私が大病を患ってから5年という節目の年となります。コロナ禍の中、なんとも味気ない毎日を送っていますが、関係なく時は過ぎ、そして私は年老いていきます。毎日をもっと大切にしなくてはと改めて思った次第です。

先週の土曜日、私は誕生日を迎えました [考えている]

先週の土曜日に私は59歳になりました。来年はとうとう還暦を迎えることになります。「なんだか、年取っちゃったなー」というのが正直な実感ですね。サラリーマン人生はこれからも続くので良いのですが、これで隠居生活なんぞになろうものなら、一気に老け込みそうな気がします(汗)。一年一年を大切に過ごさなくてはと改めて思った次第です。

誕生日の夜は、独立している長女も来てくれて家族四人で久しぶりに食事をしました。外で食べることも考えたのですが、このコロナ禍の中、やはり外出は控えようという話になり、自宅で赤ワインを飲みながら、家内が焼いてくれたステーキを食べました。美味しかったですし、家族水入らずの食事はとても楽しかったです。良い思い出になりました。

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こちらが、その夕食後、デザート代わりに食べた「YVAN VALENTIN(イヴァン・ヴァレンティン)」のチョコレート(中身は写真も撮らずに食べてしまったので、外箱のみの写真です。トホホ…)。とても入手困難なチョコらしく、家内は朝から百貨店に行って並んで買ってきたそうです。これは本当に美味しかったです。これまで私が食べたチョコレートの中で、間違いなく一番の美味しさでした。

その日、思いがけず、家内からは誕生日のお祝いということで、イタリアブランド「L'arcobaleno(ラルコバレーノ)」の革製のスマートキー・ケースを貰いました。実は誕生日のお祝いということで、(家内に相談して)イギリスのスピーカーメーカーKEF社の新製品であるノイズキャンセリングヘッドフォン「Mu3」を既に購入(発注)していたので、これ以外に、何か貰えるとは思っていなかった事もあって、私にとっては、ちょっとしたサプライズとなりました。とても嬉しかったです。

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そして、こちらが家内からのプレゼントのキーケースです。本当にありがとう。

ちょっと話題が変わりますが、ここ何年か、この私のブログのタイトルをどーするか、あれこれ悩んでいたのですが、来年、還暦になった時に変更しようと思います。それまではちょっと、さばを読んでいますが(苦笑)、このまま「中年男」で続けさせていただきます。どんな方が読んでくださっているのか見当もつきませんが、これからも宜しくお願いいたします。

以上、簡単なご報告でした。ちゃんちゃん

あけましておめでとうございます [考えている]

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あけましておめでとうございます。どんな方が私のブログを見てくださっているのか、まるで見当もつきませんが(汗)、本年も宜しくお願いいたします。今は自宅一階のリビングダイニングでイタリアのナポリ出身のピアニスト、マリア・ティーポ(Maria Tipo 1931年~)が弾くバッハのパルティータ第5番、そして第6番の演奏を聴きながら、こうして今年最初のブログを書いているところです。

一年の計は元旦にありと言いますが、私も決意も新たに、悔いのない一年にしたいと思います。今年は私にとって50代最後の年となり、来年はとうとう還暦を迎えることとなります。何というか、最期のあがきと言いますか、ここでしっかりと自分の人生を立て直しておかないと、ずるずると歳だけをとり続けることになってしまうような気がしてならないのです。

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こちらは元旦の朝に私、家内、長女で食べたお正月料理。あと、ここには写っていませんが、もちろんお雑煮も食べました。今年は3日に義父母、義弟が自宅に来てくれて、みんな一緒におせち料理を楽しむ予定なので、この日は簡単に済ませた次第です。

まずは英語の勉強ですね。昨年はコロナ禍のせいにして怠けてしまったので、これだけは何とかしなくては残りの人生が豊かなものになりません。そして、もう一度、小説を書いてみようと考えています。60歳までに一作品を書き上げるのが目標です。

こんな市井の、一人の初老間近の男の決意なんて、皆さんはあまり興味もないでしょうし、私自身も書いていてとても恥ずかしいので、ここに書くのはこれくらいにします。今年一年の、皆さまのご健康とご多幸を心からお祈りいたします。

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そしてこちらは元旦の夜、私、家内、長女、次女の家族四人で頂いたおせち料理、中央は長女が飾り付けをしたサラダのプレートでして、両脇のお重は横浜 菊名の小料理屋「はせ川」が用意したものです、こうしておせち料理を買ってきたのは私たちが結婚してから初めてのことだったのですが、(お料理の)品数が多く、美味しかったです。

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こちらは3日の夜、義父母、義弟と私たち家族四人で頂いた持ち寄りのおせち料理。

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そしてこちらが義父母が持ってきてくれた、近くの洋菓子店で購入したホールケーキです。皆様も今年が良い年となりますようお祈り申し上げます。

2020年があともう少しで終わろうとしています [考えている]

今日は大晦日の朝でして、いつもより早く起きた私は、自宅一階のリビングダイニングでイタリアのナポリ出身のピアニスト、マリア・ティーポ(Maria Tipo 1931年~)が弾くバッハのパルティータ第4番の演奏を聴きながら、こうして今年最後のブログを書いているところです。

このコロナ禍に明け暮れた一年間、愚かにも私は、勉強もせず、小説も殆ど読むことなく、無為に過ごしました。今年一年やったことと言えばテレビアニメばかりを観、そして、その原作となる漫画やライトノベルを読み耽ったくらいでして、あとはお酒を飲むか、寝てばかりという、到底、六十間近の男のすることとは思えない日々を過ごしてしまいました。こんな一年は、これまでの私の人生の中でも最低のものだったかもしれないなぁなどと、自らを嘲りながら、こうしてブログを書いています。

仕事納めとなる12月28日は、これまで30年余り、会社の先輩や仲間たちと、神田の藪そばで日本酒を頂きながら、お蕎麦を楽しむのが、これまでの決まりというか、約束事となっていました。しかしながら今年は、このコロナ禍の中、とてもみんなで集まってお酒を飲むことはできず、来訪は叶いませんでした。

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こちらは5年前、2015年の仕事納めの日の神田藪そばの店内の飾りつけの様子。のれん分けした藪そば各店のお飾りが並べられています。

振り返ってみると、この一年、「家」がらみでは色々なことがありました。このコロナ禍の中、自宅で家族で過ごす時間が増えたのにあわせるかのように、リビングルームの応接セットを25年ぶりに買い替えたり、テレビも75型の大画面のものに10年ぶりに買い替え、壁掛けにしたり、食器戸棚を新調したりと、リビングルームについてはかなり手を入れました。

そして、何といっても今年の一大事は自宅の傾きを直す工事を行ったことです。おかげで家は、快適な居住空間に戻りました。おかげでお正月を気持ちよく迎えることができそうです。

ふうっ、何はともあれ来年こそは、しっかりと前を向いて、充実した一年にしようと決意を新たにした次第です。

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こちらは大晦日の夜に自宅で頂いた蕎麦。天ぷらは「銀座 天一 タカシマヤフードメゾン新横浜店」で買ってきたものです。

レコードプレーヤーの「音」について [考えている]

前の記事で、実家のCD再生機器をマランツのCDプレーヤ「CD-17D」からパイオニアのDVD/CDプレーヤー「DV-S9」に入れ替えたことを書きましたが、その後、この「DV-S9」について書かれた記事をネットで検索しながらネットサーフィンをしているうちに、とあるブログの記事に行き当たりました。

それは「koulog」と名付けられた、個人の方のブログ記事でして、ここに書かれていた内容は、

アナログレコードの音が良いと言う意見は、多分低域共振で揺すられた少し緩めな低音感とカートリッジの高域の色づけ(ダンプしてはいるが高域共振もある)などが好ましい音色として受け止められていると想像しています。
(「koulog」2006年11月1日記事「最後のアナログプレーヤー」からの引用)

というものです。多分、これが真実だと私も思います。

この少し緩め低音感と高域の色づけは、良く言えば「味わい」となるのかも知れませんが、ピュアオーディオ(原音忠実再生)の立場からすれば、間違いなく「雑味」であり、忌避すべきものです。と言いながら、私はこの「雑味」が好きなんだろうなーと思います。その意味で、私はオーディオ機器にそれなりの拘りは持つものの、真の意味ではオーディオファンではないのでしょう。

このkou氏の見事な分析には敬服しました。是非、機会があれば記事の全文(http://kouyamamoto.cocolog-nifty.com/blog/2006/11/post_9821.html)を読んでみて頂ければと思います。私は、こうして勝手に個人の方のブログ記事を紹介していますが、もし、問題がありましたら連絡ください。すぐに削除します。

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こちらはkou氏の記事で紹介されているソニーのレコードプレーヤー「PS-X800」。「バイオトレーサーに加えアクティブ・トレースサーボ方式を搭載したリニアトラッキング・プレイヤーシステム」(以上、「オーディオの足跡」からの引用。画像も引用しています)とのことです。いつか機会があるようでしたら、このレコードプレーヤーの「音」を聴いてみたいものです。

十年ぶりにリビングダイニングルームのテレビを買い替えて感じたこと [考えている]

前の記事に書いたように、10年ぶりに自宅一階のリビングダイニングルームのテレビを最新機種に買い替えたのですが、こうして新しいテレビを使うようになって感じたことがあります。

それは、(今更ながらではありますが)テレビがテレビ番組を観るためだけのものではなくなっていることです。以前のテレビでもYoutubeを観たり、Chromecastを使ってスマートフォンやタブレットの画面をミラーリングしてインターネットによる動画配信サービスの映像を楽しんでいたのですが、それはあくまでも副次的な使い方(機能)に留まっていました。

新しいテレビは違います。NETFLIXやAbema TVといったインターネットによる動画配信サービスはすぐに楽しめるよう、リモコンには専用のボタンがついていますし、AndroidTVになったことが大きく関係しているのでしょうが、例えば「Rakuten NBA」といったその他の動画配信サービスも専用のアプリケーションをテレビ本体にインストールして、簡単にアクセスして楽しむことができます。もっと言えば、別に動画配信サービスに限らず、他の色々なグーグルテレビアプリをインストールして利用することも当然可能です。

感覚的には、みんなで一緒に楽しめるように用意された、とても大きな画面を持った据え置きのタブレットといった感じでしょうか。以前のテレビ受信専用機と違って、使い方の自由度がユーザに大きく任されていて、用途に応じて自分の嗜好に応じた設定が可能です(逆にうまく使いこなそうとすると、ユーザ自身がきちんとそれぞれ詳細に設定する必要があります)。もしかしたら、近い将来、「テレビ」という言葉もいずれ死語になるのかもしれません。

また、こうして買い替えたテレビですが、以前のようにブルーレイレコーダーは接続しておらす、録画用に6TBのハードディスクを繋いで使っています。インターネット動画配信サービスの普及によって、これまでのように、せっせと好きな映画を録画してブルーレイディスクに焼いたりといった作業はほとんど行わなくなりました。まさしく映像メディアそのものが大きく変わったことを実感します。

こうした使い方を支えているのが、自宅におけるネット接続環境、特に接続スピードの向上です。自宅のテレビはすべて自宅二階のルーターにブリッジ接続された(2年程前に買い替えた)無線LANルーターを通じて接続されているのですが、4Kクラスの映像を観てもまったくコマ落ちしません。今後はさらに5Gの普及等によって接続スピードは上がり、インタラクティブなネットの世界が広がっていき、そしてまたテレビは、その位置づけが大きく変わっていくのでしょう。ちょっと楽しみです。

私のような、昔、アナログの電話回線にモデムを使ってパソコン通信をしていたような者にとっては、まさに隔世の感があります。今の若い人からは、何を今更、当たり前のことを言っているのかと馬鹿にされるのでしょうが、こうして新しくテレビを買い替えて、まさに実感した次第です。

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こちらが新しく買い替えたテレビのリモコン。色々なインターネット動画配信サービスへのアクセスボタンがリモコンの一番上部の目立つところにありますし、リモコン中央部にはグーグルアシスタント(音声入力)ボタンが配されているのが、今を感じさせます。ちなみに、テレビに向かって「OK Google」と言えば、電源オン・オフをはじめとする様々な多くの操作をリモコンを使わずに行うことができます。

最近になって、今は亡き伯父のホームページを読みかえしています [考えている]

最近になって、母方の伯父が以前、自ら作ったホームページ「人生・ロマン・メッセージ」(http://www2u.biglobe.ne.jp/~k-kuri/)をまた読み返しています。

とても活動的で優しい伯父でした。伯父は1931年生まれ、幼少期から少年期を祖父の赴任に伴い北朝鮮の平壌で過ごし、戦後、祖父母や母達4人の兄弟と共に北朝鮮から引き揚げ、その後、第1級無線通信士の資格を取って外国航路の無線通信士として、大阪商船三井船舶の貨物船や南米への移民船等に乗りながら世界中を巡り、その後、日本電信電話株式会社(今のNTT)に勤め、定年後はアマチュア無線とパソコンや登山を楽しみ充実した生活を送りながらも、癌に冒され、長い闘病生活の後、15年前となる2005年に亡くなりました。

この伯父のホームページを読んでいると、色々と苦労と貴重な体験をしながら、世界中を船で巡るという、まさしくロマンに溢れた充実した一生を見事に全うした市井の一人の人間の記録とその想いと考えに驚嘆し、感動します。北朝鮮からの引き揚げの記録については、母も文章を書き留めているのですが、それは辛酸を極めたもので、祖父母の苦労が偲ばれると共に、今、こうして自分がこの世に生まれ、生きていることすら不思議な感じがします。

また、ホームページ内の特集記事「世界の海岸局」は、1998年まで続いた、モールス信号を使った無線電信による世界中の船舶と海岸局との通信の貴重な記録かと思います。

私にとってはとても大切な、伯父の人生と想いの記録です。このように今でも読めるのはこのホームページを維持してくれている従弟のおかげです。感謝です。

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こちらは神戸商船三井ビル。旧大阪商船神戸支店として竣工したのは1922年(大正11年)ですから、大阪商船三井船舶に船員として勤めていた伯父も訪れたことがあるかと思います。「大正期の大規模オフィスビルとして現存するものは本物件のみ(以上、Wikipediaの解説文からの引用)」という、貴重な建築物です。一度訪れてみたいものです。